東()洋()の根() 第()4章()

孔()子() 孔()子()

Confucius 前()551–前()479 古()代()中国()(春秋()時()代())

生()まれではない。学()びと人()格()で、誰()でも『君()子()』になれる。

読()了()めやす 約()13分()

1. 一言()で

生()まれではない。学()びと人()格()で、誰()でも「君()子()」になれる。

孔()子()(前()551–前()479)は、こう説()いた古()代()中国()の思()想()家()であり、教()育()者()です。東()アジア2500年()の、道()徳()・教()育()・勤()勉()の土()台()をつくった人()です。

先()に、読()むときの構()えを2つ。ひとつ、私()たちが読()む『論()語()』は、孔()子()が自()分()で書()いた本()ではありません。彼()の死()後()、弟()子()たちが、聞()いた言葉()を集()めて編()んだものです。だから「どこまでが本()人()の言葉()か」には、幅()がある。これは、あとで登()場()するソクラテスと、まったく同()じ事()情()です。ふたつ、「儒()教()」と聞()いて思()い浮()かべる堅()苦()しい上()下()関()係()、あれの多()くは後()の時()代()に作()られたもので、孔()子()本()人()の思()想()ではありません。このページは「孔()子()本()人()」と「後()世()の儒()教()」を、注()意()深()く分()けます。聖()人()として崇()めず、古()い道()徳()の元()凶()として断()じもしません。

2. いそがしい人()へ

3つだけ、先()に。

  • 核()心():人()の価()値()は、生()まれた身()分()では決()まらない。学()びと人()格()の修()養()で、誰()でも立派()な人()(君()子())になれる。身()分()制()が当()たり前()の時()代()に、これは革()命()的()でした。
  • なぜ重()要():東()アジア(中国()・韓()国()・日本()…)の、道()徳()・教()育()・「学()ぶことは尊()い」という価()値()観()の源()流()になった。
  • よくある誤()解():「儒()教()=古()くさい上()下()関()係()・男()尊()女()卑()」は、実()は後()の時()代()に作()られたもので、孔()子()本()人()の言葉()ではない。孔()子()はむしろ「親()が間()違()っていたら諫()めよ」「心()のない礼()は無()意()味()だ」と説()いた人()です。

3. どんな人()?

「東()洋()の偉()大()な聖()人()」というイメージがありますが、孔()子()の実際()の人()生()は、挫()折()の連()続()でした。

前()551年()、中国()の春秋()時()代()末期()、魯()という国()の下()級()貴()族()の家()に生()まれます。幼()くして父()を失()い、貧()しく育()った。本()人()が「私()は若()い頃()、身()分()が低()かった。だから雑()用()が得()意()なんだ」と語()っているくらいです。彼()が生()きたのは、周()王()朝()の権()威()が崩()れ、力()がすべてを決()める下()剋()上()の乱()世()。古()い秩()序()(礼())が壊()れていく時()代()でした。

孔()子()は「この乱()れた世()に、秩()序()を取()り戻()したい」と志()します。50代()でようやく魯()に登()用()され、司()法()長()官()などを務()めた。でも、彼()の理()想()は、受()け入()れられなかった。「武()力()ではなく、道()徳()で国()を治()めよ」という彼()の考()えは、富()国()強()兵()を競()う時()代()には、悠()長()すぎたのです。職()を辞()した彼()は、自()分()を用()いてくれる君()主()を求()めて、弟()子()たちと14年間()も、諸()国()をさすらいました。けれど、どの国()も彼()を重()く用()いなかった。ある人()は彼()を「宿()無()しの犬()のようだ」と評()したといいます。

68歳()を過()ぎて故()郷()に帰()った孔()子()は、政()治()の表()舞()台()から退()き、弟()子()の教()育()と、古()典()の整()理()に、残()りの人()生()を捧()げました。そして失()意()のうちに、世()を去()ります。後()の時()代()、彼()は「聖()人()」として神()のように崇()められますが、本()人()は自()分()を絶対()の聖()人()だとは思()っていませんでした。乱()世()に理()想()を説()いて敗()れた、一人()の教()師()。それが、等()身()大()の孔()子()です。

4. 中()心()となる考()え

この章()で、孔()子()が開()いた「学()びの扉()」

孔()子()がやったことを一言()でいうと、固()く閉()ざされていた「学()びの扉()」を、みんなに開()けたことです。

この人()が押()した、前()提()のスイッチ

登()場()前()の常()識()

身()分()や血()筋()が、人()の価()値()を決()める。

孔()子()以()後()

学()びと人()格()(仁()・徳())で、誰()でも君()子()になれる。

孔()子()が生()きたのは、生()まれた身()分()が人()生()のすべてを決()める時()代()でした。貴()族()の子()は貴()族()、庶()民()の子()は庶()民()。学()問()は、貴()族()だけのものだった。そこへ孔()子()は、とんでもないことを言()い出()します。「教()えに、身()分()の区()別()なんてない( 有()教()無()類() ゆうきょうむるい 「教()えありて類()なし」。教()育()に身()分()・出()自()の区()別()を設()けない。当()時()としては急()進()的()な、教()育()の開()放()。 )」。入()門()のあいさつ代()わりの干()し肉()ひと束()さえ持()ってくれば、どんな出()自()の者()でも教()える、と。実際()、貧()しい家()の弟()子()たちを、立派()な人()物()に育()てました。

そして、決定()的()な一手()。 君()子() くんし(jūnzǐ) 学()びで人()格()を磨()いた理()想()の人()。元()は『貴()族()の子()』を指()す身()分()語()を、孔()子()が『徳()を修()めた人()』へ意()味()を変()えた。 という言葉()の意()味()を、書()き換()えたんです。もともと君()子()とは、「身()分()の高()い貴()族()」を指()す言葉()でした。孔()子()はこれを、「学()んで人()格()を磨()いた人()」という意()味()に変()えた。つまり、君()子()は、生()まれるものではなく、なるもの。血()筋()でなく、努()力()と人()格()で。これは当()時()、静()かな革()命()でした。

中()心()にあるのは、「仁()」と「礼()」

孔()子()の思()想()の核()が、 仁() じん(rén) 他()者()を思()いやり愛()する心()。孔()子()倫()理()の核()。抽()象()的()な博()愛()でなく、身近()な人()から外()へ広()げる具()体()的()な関()係()の倫()理()。 です。ひとことで言()えば、他()者()への思()いやり。ただし、いきなり世界中()の人()類()を愛()せ、という抽()象()論()ではありません。まず身近()な家()族()を大()切()にし、その温()かさを、同()心()円()状()に外()へ広()げていく。とても具()体()的()で、現()実()的()な「関()係()の倫()理()」です。

その仁()を、目()に見()える形()(ふるまいの型())にしたものが 礼() れい(lǐ) 他()者()への敬()意()を、ふるまいの型()にしたもの。※堅()苦()しい形()式()でなく、内()面()の仁()と一体()であるべきもの。仁()なき礼()は無()意()味()。 。あいさつ、礼()儀()作()法()、社()会()のルール。ここで、大()きな誤()解()を解()いておきます。「礼()」と聞()くと、堅()苦()しい形()式()のように思()えますよね。でも孔()子()は、逆()のことを言()っています。「心()(仁())のこもっていない礼()なんて、意()味()がない」。形()だけ整()えても、中()身()の思()いやりがなければ空()っぽだ、と。孔()子()は、形()式()主()義()を戒()めた人()なんです。

「儒()教()の悪()いイメージ」は、孔()子()のせいじゃない

ここ、この章()でいちばん大()事()なところです。

「儒()教()」と聞()くと、こんなイメージがありませんか。堅()苦()しい上()下()関()係()。目()上()への絶対()服()従()。男()尊()女()卑()。 でも、知()っておいてください。これらの多()くは、孔()子()本()人()の思()想()ではありません。

孔()子()の死()後()、何()百()年()もかけて、時()の権()力()者()たちが、儒()教()を「民()を従()わせる道()具()」として利()用()しました。上()下()関()係()の絶対()化()も、男()尊()女()卑()も、後()の時()代()の書()物()(礼()記()など)や、朱()子()学()が作()り上()げたもの。孔()子()本()人()は、むしろ逆()のことを言()っています。「親()が間()違()った道()に進()もうとしたら、穏()やかに諫()めなさい( 孝() こう(xiào) 父()母()への敬()愛()。※絶対()服()従()ではない。親()に過()ちがあれば穏()やかに諫()めよ、と孔()子()は説()いた。 )」。つまり、無()条()件()の服()従()を、はっきり否()定()しているんです。

だからこのサイトは、「孔()子()本()人()」と「後()の時()代()の儒()教()」を、きっぱり分()けます。聖()人()として崇()めることもしないし、「人()を食()う古()い道()徳()の元()凶()」として断()じることもしない。乱()世()に理()想()を説()いて敗()れた、一人()の等()身()大()の教()師()として、彼()を見()ます。

そして——本()人()の言葉()かどうかも、確()かめる

最()後()に、もう一()つ。私()たちが読()む『論()語()』は、孔()子()が自()分()で書()いた本()ではありません。死()後()に、弟()子()やその弟()子()が、聞()いた言葉()を集()めて編()んだものです。だから「子()曰()く(先()生()が言()われた)」とあっても、どこまでが本()当()に孔()子()本()人()の肉()声()か、実()は完()全()にはわからない。古()い層()と新()しい層()が混()ざっている、と研()究()者()は考()えています。

実()はこの問()題()、西()洋()にも双子()がいます。あとで読()むソクラテスが、まったく同()じ事()情()なんです。西()洋()の始()祖()も東()洋()の始()祖()も、自()分()では書()き残()さず、弟()子()の記()録()を通()して伝()わっている。だからこそ、鵜()呑()みにせず、「これは本()当()に本()人()の言葉()か」と問()いながら読()む。それが、二人()の始()祖()への、誠()実()な向()き合()い方()です。

5. キーワード

4章()の言葉()は、カードでいつでも引()けます。あと2つ、知()っておくと深()まる言葉()を。

  • 中()庸() ちゅうよう 極()端()を避()け、その時々()の状()況()に応()じた最()適()な一点()を見()極()める徳()。「足()して2で割()る」妥()協()や事()なかれ主()義()ではない。 (ちゅうよう):極()端()を避()け、ちょうどいいバランスを保()つこと。ただし注()意()。これは「足()して2で割()る妥()協()」や「事()なかれ主()義()」ではありません。その時々()の状()況()に応()じて、最()適()な一点()を見()極()めるという、実()はとても難()しい徳()のこと。動()き続()けるバランス感()覚()です。
  • 天()命() てんめい(tiānmìng) 天()から与()えられた使()命()。宿()命()論()ではなく、為()すべきことを尽()くしたうえで結果()を天()に委()ねる態()度()。 (てんめい):天()から与()えられた、自()分()の使()命()のこと。孔()子()は「五()十()にして天()命()を知()る」と言()いました。ここも誤()解()しやすいのですが、これは「すべて運()命()で決()まっている」という宿()命()論()ではない。人()としてやるべき努()力()を尽()くしたうえで、結果()を天()に委()ねる。そういう、能()動()的()な態()度()のことです。

(※ 仁()・礼()・君()子()・学()・孝()・有()教()無()類()は、本()文()中()のカードで、いつでも引()けます。)

6. 批()判()・限()界()

孔()子()を、聖()人()として崇()めないために。3層()で見()ます。

(a) 当()時()の限()界() — 理()想()が、敗()れた

まず事()実()として、孔()子()の「道()徳()で国()を治()める」という理()想()は、弱()肉()強()食()の春秋()時()代()には、非()現()実()的()でした。即効()性()を求()める君()主()たちに、彼()の徳()治()主()義()は受()け入()れられなかった。後()の法()家()(韓非()ら)からは、はっきり「非()現()実()的()だ」と批()判()されています。理()想()主()義()者()としての、政()治()的()な敗北()です。

(b) 後()世()の利()用() — 「服()従()の道()具()」への変()質()

これが、いちばん大()事()な層()です。孔()子()の死()後()、儒()教()は国家()の統()治()イデオロギーになり、南()宋()の朱()子()学()で体()系()化()される中()で、変()質()しました。本()来()は双()方()向()だった「仁()」や「礼()」が、「臣()は君()に、子()は親()に、妻()は夫()に、絶対()服()従()せよ」という、一方()通()行()の服()従()を正()当()化()する道()具()に、固()定()化()されていったのです。

(c) 近()現()代()の批()判() — 「人()を食()う礼()教()」

20世紀()初()頭()の中国()では、近()代()化()運()動()(五()四運()動())の中()で、儒()教()は「進歩()を妨()げる古()い鎖()」として、激()しく攻()撃()されました。作家()の魯()迅()は、小()説()『狂()人()日記()』で、儒()教()道()徳()を説()く歴()史()書()の行()間()に「吃人()(チーレン、chīrén)」——礼()教()が人()を食()う、の意()——という文字()が隠()れている、と告()発()しています。

7. つながりと対()比()

孔()子()は、誰()と並()び立()ち、誰()と対()をなすのか。

まず、ソクラテス。 これは、対()決()ではなく、“並()び立()つ二人()の始()祖()”です。孔()子()とソクラテスは、同()じ前()5世紀()(といっても入()れ違()いの世()代())を、地()球()の東()と西()で生()きました。二人()とも「人()はいかに生()きるべきか」を問()い、二人()とも自()分()では本()を書()かず、弟()子()の記()録()を通()して後()世()に伝()わった。よく似()ています。でも、向()きが正()反()対()なんです。ソクラテスは、問答()で既()存()の権()威()や常()識()を壊()していく人()。孔()子()は、過()去()の伝()統()(周()の礼())を受()け継()ぎ、そこに新()しい命()(仁())を吹()き込()む人()。いわば「保()守()的()な革()新()者()」でした。壊()す西()洋()の始()祖()と、受()け継()ぐ東()洋()の始()祖()。

そして、同()じ東()洋()のブッダ。 これもほぼ同()時()代()です。でも、生()き方()への答()えが対()照()的()。ブッダは、家()も身()分()も捨()てて出家()し、個()人()の心()の中()の苦()しみから”解()脱()”することを目指()した。孔()子()は、あくまで社()会()の中()に留()まり、家()族()や国家()という関()係()性()の中()で、人()としての完()成()を目指()した。世()を捨()てるブッダと、世()に踏()みとどまる孔()子()。徹底()した現()世()主()義()が、孔()子()の持()ち味()です。

このサイトでは、ブッダ・孔()子()・道()元()を「東()洋()の根()」として並()べています。苦()しみを手放()すブッダ、関()係()性()を全()うする孔()子()、そして今()この行()為()に成()りきる道()元()。同()じ東()洋()から、三()つの別々()の答()えが出()ているのが、面()白()いところです。 → ソクラテス・ブッダ・道()元() につながります。

8. いまの自()分()に、どう効()くか

「学()ぶことは尊()い」「勤()勉()であれ」。東()アジアの日()常()に染()みついたこの価()値()観()の土()台()に、いまも孔()子()がいます。まず、光()の面()から。極()端()な個()人()主()義()で人々()が孤()立()する現()代()には、「自()分()は孤()立()した存()在()ではなく、他()者()との関()係()の中()にいる」という関()係()の倫()理()が、あらためて見()直()されています。渋()沢()栄()一()が『論()語()と算()盤()』で説()いた「道()徳()と経済()の両()立()」は、現()代()のCSRやSDGsを、100年()以()上()も先()取()りしていた、と評()価()されています。

でも、影()もある。「歪()んだ儒()教()的()な上()下()関()係()」が、目()上()への過()度()な同()調()圧()力()や、ブラック校()則()、パワハラの温()床()になっている、という指()摘()です。現()代()中国()が孔()子()を政()治()的()に利()用()している(各国()の「孔()子()学()院()」が、米()国()では約()100校()から5校()未()満()に減()った)という問()題()もあります。

ここで、このサイトが繰()り返()し見()てきた構()図()が、また現()れます。孔()子()が本()当()に説()いたのは、「目()上()に黙()って従()え」ではありませんでした。 「心()のこもった思()いやり(仁())」と、「親()であっても、間()違()いは諫()める誠()実()さ」だった。なのに後()の世()は、その根()っこ(相()互()の思()いやり)を抜()き取()って、都()合()のいい”上()下()関()係()”という枝()葉()だけを取()り出()し、「従()順()の道()具()」に仕()立()て上()げた。

思()想()の根()が抜()かれ、枝()葉()だけが制()度()に利()用()される。スマイルズやアドラーで見()たのと、同()じ形()です。だから、孔()子()を読()むなら、後()世()が作()り上()げたイメージではなく、本()人()が説()いた「関()係()の中()の誠()実()さ」という、根()っこに当()たりにいきたい。そこには、いまの私()たちが思()うより、ずっと風()通()しのいい思()想()があります。

9. もっと知()る

孔()子()は、入口()を選()べば、親()しみやすくなります。

読()む順()の目()安()

  1. まず、下()村()湖()人()『論()語()物語()』のような物語()仕()立()ての本()や、漫()画()・図()解()から。弟()子()たちの個()性()が見()えて、距()離()が縮()まります。
  2. 次()に、齋藤孝()や宮崎市定()の現()代()語()訳()で、通()して読()む。
  3. もっと深()めたければ、金谷()治()訳()『論()語()』(岩()波()文()庫())で、原()文()と書()き下()しに当()たる。

日本()との縁()も深()い人()です。江戸()時()代()には朱()子()学()が武()士()の学()問()になり、明()治()の実()業()家()・渋()沢()栄()一()は、後()に『論()語()と算()盤()』(1916)を書()いた。日本人()の勤()勉()さや道()徳()観()の、隠()れた土()台()になっています。

10. まだ決着()していないこと(両()論()ボックス)


このサイトは、確()定()した史()実()と、解()釈()が割()れる論()点()を分()けて記()述()しています。崇()拝()も断()罪()もせず、出典()に当()たれる形()を心()がけました。孔()子()については特()に、本()人()が説()いたことと、後()世()が「儒()教()」として作()り上()げたものを、分()けるよう努()めています。

もっと知()る — ブックガイド

入()門()(まずここから)

  • 論()語()物語()(下()村()湖()人()・講()談()社()学()術()文()庫()) 弟()子()たちの個()性()を物語()で。最()も入()りやすい入口()。
  • 論()語()と算()盤()(渋()沢()栄()一()) 道()徳()と経済()の両()立()。日本()の受()容()の代()表()。CSR/SDGsの先()取()りとして今()も読()まれる。

原()典()(挑()むなら)

  • 論()語()(金谷()治() 訳()注()・岩()波()文()庫()) 原()文()・書()き下()し・現()代()語()訳()つきの定()番()。まず親()しみやすい抄()訳()や漫()画()で全()体()像()を掴()んでから。
  • 現()代()語()訳() 論()語()(宮崎市定()・岩()波()現()代()文()庫()) 平()易()で現()代()的()な訳()。