古()代()の根() 第()9章()

イエス ナザレのイエス

Jesus of Nazareth 前()7〜4年頃() – 後()30年頃()(諸()説()あり) 第()二()神殿()時()代()のユダヤ(ローマ属()州())

神()の国()はもう始()まっている。悔()い改()めて、敵()をも愛()して生()きよ。

読()了()めやす 約()16分()

1. 一言()で

神()の国()はもう始()まっている。悔()い改()めて、敵()をも愛()して生()きよ。

イエス(前()7〜4年頃()—後()30年頃())は、ローマ帝()国()支()配()下()のユダヤに生()きた、ユダヤ教()の枠()の中()から現()れた説教()者()・治()療()者()です。彼()自()身()は本()を一冊()も書()いていません。

先()に、読()むときの構()えを2つ。ひとつ、このサイトはイエスを信()仰()の対()象()としてではなく、「思()想()史()の中()で、彼()の教()えと、彼()をめぐる思()想()がどう扱()われてきたか」を追()う対()象()として扱()います。特()定()の宗()派()の立場()に立()つことも、信()仰()を勧()めることもしません。ふたつ、「福()音()書()にこう書()かれている」(信()仰()・伝()承()の側()の話())と、「歴()史()的()にこうだったと考()えられる」(史()料()批()判()の側()の話())は、はっきり別()の話()です。このページでは、どちらの話()をしているかが常()にわかる形()で書()きます。

2. いそがしい人()へ

3つだけ、先()に。

  • 核()心():律法()を正()しく守()れる立派()な人()こそが神()に近()い、という当()時()の常()識()をひっくり返()した。神()の国()に先()に招()かれるのは、むしろ律法()を守()れない者()、はみ出()し者()だ、と説()いた。
  • なぜ重()要():この教()えは、2000年()かけて西()洋()の倫()理()・法()・芸()術()の土()台()の一()部()になった。良()くも悪()くも、いま生()きる社()会()の常()識()の奥()に、この人()の影()響()がある。
  • よくある誤()解():福()音()書()に書()かれていることすべてが、そのまま「史()実()」とは限()らない。奇()跡()や生()誕()の物語()には後()世()の解()釈()や信()仰()の言葉()が重()なっている。どこまでが史()実()でどこからが信()仰()の言葉()かは、専()門()家()の間()でも意()見()が分()かれる(本()文()で扱()う)。

3. どんな人()?

イエスの話()をするには、まず当()時()のユダヤがどんな場()所()だったかを知()る必()要()があります。

紀()元()前()1世紀()、ユダヤは大()国()ローマに支()配()されていました。もとは自()分()たちの王()がいた国()です。それが今()は、遠()いローマが送()る総()督()や、ローマの後()ろ盾()で立()つヘロデ家()に治()められている。しかも「唯()一()の神()ヤハウェが選()んだ民()」であるはずの自()分()たちが、なぜ異()教()徒()に踏()みにじられているのか——信()仰()の根()っこを揺()るがす、切()実()な問()いでした。

この空()気()の中()で、「今()の世()界()はもうすぐ終()わり、神()が直()接()介()入()して正()義()を打()ち立()てる」と説()く考()え方()が広()まっていました。これを 終()末()論() しゅうまつろん(黙()示()思()想()) 世()界()の歴()史()が神()による最()終()的()な裁()きと刷新()に向()かう、という考()え方()。イエスの時()代()に広()く見()られた。 (黙()示()思()想())といいます。禁()欲()的()な共()同()体()をつくり「その日()」に備()えたエッセネ派()、ローマへの武()力()抵()抗()を志()すゼーロータイ(熱心()党())もいた。同()じ危()機()感()が、いくつもの違()う答()えを生()んでいた時()代()です。

イエスはこの空()気()の中()に現()れます。ガリラヤ(田舎()の湖()畔()の地()域())の大()工()の家()に育()ち、30歳()前()後()で、荒()野()で 悔()い改()め くいあらため(メタノイア) 反()省()して謝()ることではなく、ものの見()方()の向()きそのものを変()えること。原()語()の意()味()は『心()の転()換()』。 を説()いていた洗()礼()者()ヨハネから洗()礼()を受()けます。ここが公()的()な活()動()の出発()点()でした。ヨハネが逮()捕()されたあと、イエスはガリラヤに戻()り独()自()の宣()教()を始()めます。「時()は満()ちた。神()の国()は近()づいた。悔()い改()めて、福()音()を信()じなさい」(マルコによる福()音()書()1章()15節())。

宣()教()の期()間()はごく短()い—— 共()観()福()音()書() きょうかんふくいんしょ 『マタイ』『マルコ』『ルカ』の3福音書()。内()容()や構()成()が似()ており、比()べて読()める(共()観())ことからこう呼()ばれる。 (マタイ・マルコ・ルカ)の記()述()だと1年()ほど、ヨハネによる福()音()書()の記()述()をもとにすると3年()ほど、という違()いがあります。その短()い間()に村()や町()を巡()って教()え、病()人()を癒()やし、徴()税()人()や娼()婦()など当()時()「罪()人()」として蔑()まれていた人()たちと、あえて同()じ食()卓()を囲()みました。これが大()きな反発()を呼()びます(6章())。

紀()元()後()30年()ごろ、過越()の祭()りの時()期()にエルサレムへ上()り、まもなく逮()捕()され、ローマ属()州()総()督()ポンティオ・ピラトのもとで裁()かれ、当()時()のローマ法()における反()逆()罪()の処()刑()法()である 十()字()架()刑() じゅうじかけい 当()時()のローマ帝()国()が反()逆()罪()など重()い政()治()犯()に科()した見()せしめの処()刑()法()。ユダヤ教()の刑()罰()ではない。 に処()されました。十()字()架()には「ユダヤ人()の王()」という罪()状()書()きが掲()げられた、と福()音()書()は伝()えます——ローマが彼()を、単()なる宗()教()家()ではなく政()治()的()な危()険()人()物()と見()ていたことを示()しています。

4. 中()心()となる考()え

この章()で、イエスが覆()した「思()い込()み」

イエスの教()えは、一()つの逆()転()に集()約()できます。

この人()が押()した、前()提()のスイッチ

登()場()前()の常()識()

正()しく律法()を守()れる者()だけが、神()に近()づける。

イエス以()後()

神()の国()は、悔()い改()めて立()ち返()る罪()人()にこそ、まず開()かれている。

当()時()、律法()を厳()密()に守()ることに熱心()だったのが ファリサイ派() ふぁりさいは 律法()を日()常()生()活()に厳()密()に適()用()しようとした当()時()のユダヤ教()の一派()。イエスとは論()争()が多()い。 です。彼()らにとって神()に近()づく道()は明()快()でした。律法()を正()しく守()ること。裏()を返()せば、律法()を守()れない人()——貧()しくて儀()式()の費()用()を払()えない人()、異()民()族()と接()する徴()税()人()、病()気()で「けがれている」とみなされた人()——は、神()から遠()い存()在()ということになります。

イエスは、これをひっくり返()しました。「取()税()人()や遊()女()は、あなたがたより先()に神()の国()に入()る」(マタイによる福()音()書()21章()31節())。彼()は「罪()人()」として避()けられていた人()たちと、進()んで食()事()を共()にしました。当()時()、食()卓()を共()にするのは相()手()を仲()間()として受()け入()れる重()い行()為()です。だから彼()は「大食()いの大酒飲()み、取()税()人()や罪()人()の仲()間()だ」(マタイ11章()19節()。自()分()自()身()への悪口()として引()用()されている言葉())と非()難()されます。皮()肉()なことに、この悪口()自()体()が、彼()が実際()にそう生()きていたことのかなり確()かな証()拠()になっています——わざわざ作()り話()で悪口()を伝()える理()由()がないからです。

たとえ話() たとえばなし(パラボレー) 身近()な情()景()で神()の国()のあり方()を語()る、イエス独()特()の教()え方()。答()えを教()えず聞()き手()に考()えさせる。 もよく使()いました。有()名()な一()つが、放()蕩()息子()のたとえです(ルカによる福()音()書()15章())。財()産()を先()にもらって家()を出()た弟()が、遊()びつくして無()一()文()になり、恥()を忍()んで実家()に帰()ってくる。すると父()は謝()罪()を最()後()まで聞()かないうちから走()り寄()って抱()きしめ、宴()を開()く。まじめに家()業()を継()いだ兄()は当()然()おもしろくありません。このたとえの狙()いは、功()績()で測()らず立()ち返()る者()を条()件()抜()きで迎()える神()の側()の態()度()を、身近()な家()族()の情()景()で伝()えることです。答()えを教()えるのではなく、聞()き手()の中()に「自()分()は今()、兄()の側()の気()持()ちで聞()いていないか」という揺()さぶりを起()こす道()具()でした。

神()の国() かみのくに イエスの教()えの中()心()概()念()。すでに始()まっていると同()時()に、まだ完()成()していない、という独()特()の時()間()感()覚()を持()つ。 という言葉()には、独()特()のねじれがあります。一方()で彼()は「神()の国()は近()づいた」(マルコ1章()15節())と、これから来()る未()来()として語()りました。他()方()で「神()の国()は、あなたがたのただ中()にある」(ルカによる福()音()書()17章()21節())とも語()っています。学()者()たちはこれを「すでに、しかし、まだ」と説()明()します。彼()自()身()の言葉()と行()いの中()に神()の国()はもう始()まっている。でも世()界()全()体()が満()たされ切()るのは、まだこれから。この時()間()感()覚()が、教()え全()体()を貫()いています。

もう一()つ大()事()な点()。イエスは律法()そのものを否()定()してはいません。 山()上()の垂()訓() さんじょうのすいくん 『マタイによる福()音()書()』5〜7章()にまとまる、イエスの倫()理()的()教()えの代()表()的()な集()成()。 でこう語()ります。「私()が来()たのは律法()を廃()止()するためだと思()ってはならない。廃()止()するためではなく、成()就()するためである」(マタイによる福()音()書()5章()17節())。そのうえで「昔()の人()はこう言()った……しかし、私()はあなたがたに言()う」という形()で、律法()をより内()面()に踏()み込()む方()向()へ読()み直()します。人()を殺()すな、だけでなく怒()りそのものを戒()める。 律法() りっぽう(トーラー) ユダヤ教()の教()えと戒()律()の総()体()。モーセ五()書()が核()。イエスは廃()止()でなく『成()就()』を説()いたとされる。 の文字()より、その奥()にある狙()いを問()う姿()勢()です。その中()心()にあるのが「心()を尽()くして神()を愛()せよ」「自()分()自()身()のように隣()人()を愛()せよ」(マルコによる福()音()書()12章()28〜31節()。もとは旧()約()聖()書()の申()命()記()6章()5節()・レビ記()19章()18節())という二()つの戒()めでした。

5. キーワード

4章()で出()てきた言葉()はカードでいつでも引()けます。あと少()し、知()っておくと見()通()しがよくなる言葉()を足()します。

  • メシア めしあ(キリスト) 『油()注()がれた者()』の意()。ユダヤ教()で待()望()された救()済()者()。ギリシャ語()訳()が『キリスト』で、姓()ではなく称()号()。 (めしあ):「油()注()がれた者()」の意()のヘブライ語()。ユダヤ教()で待()望()された救()済()者()・王()を指()します。ギリシャ語()訳()が「キリスト」。「イエス・キリスト」は姓()名()ではなく「メシアであるイエス」という意()味()の呼()び方()です。当()時()のユダヤ教()では、メシアはダビデ王()の家()系()から新()しい王()国()を打()ち立()てる者()と信()じられていました。イエス自()身()が自()分()をメシアだと考()えていたのかは、今()も議()論()が続()く難()問()です(10章())。
  • 終()末()論() しゅうまつろん(黙()示()思()想()) 世()界()の歴()史()が神()による最()終()的()な裁()きと刷新()に向()かう、という考()え方()。イエスの時()代()に広()く見()られた。 (しゅうまつろん):3章()で見()た、当()時()のユダヤに広()く見()られた世()界()観()です。イエスがこの世()界()観()の中()で語()っていたのか、別()の狙()いだったのかは、現()代()の研()究()でも意()見()が分()かれます(6章()b)。

(※ 神()の国()・悔()い改()め・たとえ話()・山()上()の垂()訓()・律法()・ファリサイ派()・サドカイ派()・十()字()架()刑()・共()観()福()音()書()・史()的()イエスは、本()文()中()のカードで、いつでも引()けます。)

6. 批()判()・論()争()・後()世()の変()容()

同()時()代()の論()争()、後()世()の学()問()的()な難()問()、そして死()後()の大()きな変()容()の3層()に分()けて見()ます。

(a) 当()時()の論()争() — なぜ処()刑()されたのか

一()つは、律法()の解()釈()をめぐる論()争()です。安()息()日()に病()人()を癒()やしたこと、 ファリサイ派() ふぁりさいは 律法()を日()常()生()活()に厳()密()に適()用()しようとした当()時()のユダヤ教()の一派()。イエスとは論()争()が多()い。 の清()めの作()法()を軽()んじたこと。これは律法()をどう実践()するかという、ユダヤ教()内()部()の論()争()でした。イエスもファリサイ派()も、同()じユダヤ教()という土()俵()の中()で争()っていたのです。

もう一()つ決定()的()だったのが、エルサレム神()殿()での出来事()です。過越()の祭()りで神()殿()を訪()れたイエスは、境()内()で両替()商()の台()をひっくり返()し、商()人()を追()い出()したと伝()えられています(マルコによる福()音()書()11章()15〜17節())。神()殿()は当()時()のユダヤの宗()教()だけでなく政()治()・経済()の中()心()でもあり、これを運()営()する祭()司()階()級() サドカイ派() さどかいは 神()殿()を運()営()していた祭()司()階()級()の一派()。ローマと協()調()し、律法()より神()殿()祭()儀()を重()んじた。 には、体()制()そのものへの挑()戦()と映()ったはずです。

最()終()的()に、彼()はローマ属()州()総()督()ポンティオ・ピラトのもとで裁()かれ 十()字()架()刑() じゅうじかけい 当()時()のローマ帝()国()が反()逆()罪()など重()い政()治()犯()に科()した見()せしめの処()刑()法()。ユダヤ教()の刑()罰()ではない。 に処()されます。十()字()架()刑()は、当()時()のローマ法()が反()逆()罪()などの重()い政()治()犯()に科()した処()刑()法()で、ユダヤ教()の刑()罰()ではありません。罪()状()書()きが「ユダヤ人()の王()」だったことも合()わせると、ローマ側()は彼()を、体()制()を脅()かしかねない政()治()的()な扇()動()者()として処()刑()した、と考()えるのが自()然()です。

(b) 現()代()からの批()判()・議()論() — 「史()的()イエス」は、どの顔()か

19世紀()以()降()、 史()的()イエス してきイエス 信()仰()の対()象()としてではなく、史()料()批()判()など歴()史()学()の手()法()で再()構()成()する、歴()史()上()の人()物()としてのイエス像()。 を信()仰()を離()れて歴()史()学()の手()法()で再()構()成()する試()みが続()いてきました。18世紀()のライマールスに始()まるこの探()求()は、大()きく波()を重()ねます。20世紀()前()半()には神()学()者()ブルトマンらが「福()音()書()から史()実()のイエス像()を取()り出()すのは歴()史()学()的()にほぼ不()可()能()だ」という強()い懐()疑()を打()ち出()しました。福()音()書()は伝()記()ではなく、初()代()教()会()の信()仰()を伝()える「宣()教()文()書()」だ、という立場()です。この懐()疑()は20世紀()半()ばに反()転()し、1980年代()以()降()は当()時()のユダヤ教()の文()脈()にイエスを置()き直()す研()究()が主()流()になっています(英()語()圏()では「第()三()の探()求()」と呼()ばれます)。

それでも「本()当()のイエス」の描()き方()は一()つにまとまっていません。大()きく3つの立場()を、正()直()に並()べます。

  • 終()末()論()的()預()言()者()説():世()界()の終()わりが差()し迫()っていると告()げて回()った預()言()者()、という読()み方()(シュヴァイツァーが19世紀()末()に唱()え、現()代()ではバート・アーマンらが引()き継()ぐ)。
  • ユダヤ教()の改()革()者()説():ユダヤ教()を離()れず、その内()側()から律法()の実践()のあり方()を問()い直()した教()師()、という読()み方()(E・P・サンダースら)。
  • 知()恵()の教()師()説():終()末()論()よりたとえ話()による逆()説()的()な知()恵()を核()と見()る読()み方()(マタイとルカに共()通()しマルコにない語()録()「Q資()料()」の分()析()を土()台()にする研()究()者()たち)。

(c) 死()後()の変()容() — 一()つの改()革()運()動()から、世()界()宗()教()へ

死()後()すぐ、従()っていた者()たちの間()に「イエスは死()者()の中()からよみがえった」という信()仰()が生()まれます。福()音()書()によれば、弟()子()たちは3日()目()に空()の墓()を見()つけ、その後()生()きているイエスに出()会()った、と伝()えます。歴()史()家()として確()認()できるのは、「この信()仰()が非()常()に早()い段()階()——遅()くとも死()から数()年()以()内()——に成()立()していた」ということまでです。パウロが書()いた最()古()の手紙()(紀()元()50年頃())には、すでに定()式()化()された信()仰()告()白()の形()でこの内()容()が引()用()されています。それより前()に何()が起()きたかは信()仰()の領()域()の話()で、歴()史()学()の手()が届()く範()囲()を超()えます。

もとはユダヤ教()内()部()の改()革()運()動()だった集()団()は、パウロを通()じてユダヤ人()以()外()にも急()速()に広()がります。パウロは律法()を厳()密()に守()ることを異()邦()人()の入()信()の条()件()にしない立場()を取()り、これがユダヤ教()徒()とキリスト教()徒()の集()団()が分()かれていく分()岐()点()になりました。紀()元()70年()、ローマとの戦()争()でエルサレム神()殿()が破()壊()されると、エルサレム中()心()の集()団()は勢()いを失()い、地()中()海()世()界()に広()がった集()団()が主()流()になっていきます。

正()典()の成()立()にも長()い時()間()がかかりました。当()時()は今()の 共()観()福()音()書() きょうかんふくいんしょ 『マタイ』『マルコ』『ルカ』の3福音書()。内()容()や構()成()が似()ており、比()べて読()める(共()観())ことからこう呼()ばれる。 以()外()にも『トマスによる福()音()書()』のような多()くの「福()音()書()」がありました。今()の新()約()聖()書()と一致()する27文書()のリストが初()めて現()れるのは、紀()元()367年()、アレクサンドリアの司()教()アタナシオスの手紙()です。公()会()議()で確()認()されたのは397年()——死()から350年()以()上()あとのことでした。「聖()書()に何()が入()るか」自()体()が、人間()の歴()史()的()な決定()の産()物()だった、ということです。

7. つながりと対()比()

イエスは、何()を受()け継()ぎ、何()を覆()し、誰()と対()をなすのか。

受()け継()いだのは、ユダヤ教()の預()言()者()の伝()統()です。 貧者()・寡()婦()への配()慮()を説()いた旧()約()の預()言()者()たちの系()譜()に連()なり、悔()い改()めを説()いた洗()礼()者()ヨハネから洗()礼()を受()け、その影()響()を強()く受()けました。

遺()したのは、書()物()ではなく生()き方()の記()憶()です。 これはソクラテスと驚()くほど似()た構()造()を持()ちます。どちらも自()分()では一()文字()も書()かず、死()後()、弟()子()たちの手()による記()録()(福()音()書()、あるいはプラトンの対()話()篇())を通()してしか近()づけません。「本()当()のイエスは誰()か」という 史()的()イエス してきイエス 信()仰()の対()象()としてではなく、史()料()批()判()など歴()史()学()の手()法()で再()構()成()する、歴()史()上()の人()物()としてのイエス像()。 の問()題()は、「本()当()のソクラテスは誰()か」というソクラテス問()題()と同()じ構()造()の難()問()です。

後()世()への影()響()は、はかりしれません。 パウロの神()学()、そして4世紀()のローマ帝()国()国教()化()を経()て、西()洋()の法()・倫()理()・芸()術()の土()台()の一()部()になっていきます。「すべての人()は神()の前()に平等()」という発想()が、後()の人()権()思()想()に間()接()的()な影()響()を与()えた、とする歴()史()家()もいます(一()つの解()釈()であり、唯()一()の説()明()ではありません)。

そして、最()大()の批()判()者()、ニーチェ。 ニーチェは、後()のキリスト教()道()徳()を「弱()者()のルサンチマンが生()んだ奴()隷()道()徳()」と、生()涯()かけて攻()撃()しました。

8. いまの自()分()に、どう効()くか

イエスの「敵()を愛()せ」「隣()人()を自()分()のように愛()せ」という教()えは、2000年()たった今()も色()あせていません。奴()隷()制()廃()止()運()動()、公()民()権()運()動()——キング牧()師()の非()暴()力()思()想()は、直()接()この教()えに根()ざしています——など、社()会()を動()かした運()動()の多()くが、この教()えを引()用()してきました。これが功()。

でも、罪()もあります。歴()史()を通()じて、同()じ教()えを掲()げた集()団()が、十()字()軍()、異()端()審()問()、植()民()地()支()配()、そして先()の反()ユダヤ主()義()など、教()えの中()身()とは正()反()対()の暴()力()を正()当()化()してきました。「愛()せよ」と説()いた人()の名()のもとに振()るわれてきた暴()力()の重()さは、受()け止()める必()要()があります。

この矛()盾()は、イエス自()身()が指()摘()していたことでもあります。 山()上()の垂()訓() さんじょうのすいくん 『マタイによる福()音()書()』5〜7章()にまとまる、イエスの倫()理()的()教()えの代()表()的()な集()成()。 で彼()はこう言()っています。「私()に向()かって『主()よ、主()よ』という者()が、みな天()の国()に入()るのではない」(マタイによる福()音()書()7章()21節())。教()えを掲()げることと、教()えの通()りに生()きることは別()だ、という警()告()です。信()仰()の正()しさを声()高()に主()張()するより、実際()にどう行()動()するかを見()よ——この視()点()は、宗()教()に限()らずどんな理()念()・主()義()にも当()てはまります。理()念()の看()板()と、実際()の行()いのあいだのズレを見()失()わないこと。彼()の教()えから今()も引()き出()せる、一()番()実()用()的()な教()訓()かもしれません。

9. もっと知()る

イエスも、いきなり難()しい研()究()書()に挑()むと迷子()になります。順()番()が大()事()です。

読()む順()の目()安()

  1. まず原()典()を。新()約()聖()書()の『マルコによる福()音()書()』(4福音書()で最()も短()く、最()初()に書()かれたとされる)から。学()術()的()な訳()としては、荒井献()・佐藤研()らによる岩()波()書()店()の新()約()聖()書()翻()訳()委()員()会()訳()が、特()定()教()派()に偏()らず注()解()も詳()しく読()みやすい。
  2. 次()に全()体()像()を、やさしく。荒井献()『イエスとその時()代()』(岩()波()新()書())。
  3. もう少()し踏()み込()むなら、田川()建()三()『イエスという男()』(作()品()社())。史()料()批()判()から独()自()色()の強()いイエス像()を描()きます。「一()つの読()み方()」として読()むのがコツ。
  4. 研()究()の全()体()像()を見()渡()すなら、J.H.チャールズワース『これだけは知()っておきたい史()的()イエス』(教()文()館())。
  5. 福()音()書()が正()典()としてまとまっていった経()緯()は、加()藤()隆()『「新()約()聖()書()」の誕生()』(講()談()社()選()書()メチエ)。

コツも一()つ。福()音()書()を読()むときは「これは信()仰()を伝()えるために書()かれた文()書()だ」と意()識()しながら読()むと、書()き手()が何()を伝()えたかったのかが、かえってよく見()えてきます。

10. まだ決着()していないこと(両()論()ボックス)


このサイトは、確()定()した史()実()と、解()釈()が割()れる論()点()、そして信()仰()の言葉()を、分()けて記()述()しています。特()定()の宗()派()・立場()に立()たず、崇()拝()も布()教()も断()罪()もせず、出典()に当()たれる形()を心()がけました。イエスについては特()に、「福()音()書()がそう伝()えている」と「歴()史()的()にそうだったと考()えられる」を、混()ぜないよう努()めています。

もっと知()る — ブックガイド

入()門()(まずここから)

  • 荒井献()『イエスとその時()代()』(岩()波()新()書(), 1974) 史()的()イエス研()究()の到()達()点()を一般()向()けにまとめた定()番()。
  • 田川()建()三()『イエスという男() 増()補()改()訂()版()』(作()品()社(), 2004) 史()料()批()判()から『逆()説()的()反()抗()者()』としてのイエス像()を描()く。独()自()色()が強()く、一()つの読()み方()として。
  • J.H.チャールズワース『これだけは知()っておきたい史()的()イエス』(中野実()訳(), 教()文()館(), 2012) 史()的()イエス研()究()の論()点()を広()く見()渡()せる入()門()書()。
  • 加()藤()隆()『「新()約()聖()書()」の誕生()』(講()談()社()選()書()メチエ, 1999) 福()音()書()がどう書()かれ、正()典()としてまとまっていったかの経()緯()。

原()典()(挑()むなら)

  • 新()約()聖()書()(新()約()聖()書()翻()訳()委()員()会()訳()・岩()波()書()店()) 荒井献()・佐藤研()らによる学()術()訳()。特()定()教()派()に偏()らず、注()解()が詳()しい。まず『マルコによる福()音()書()』から。
  • 福()音()書()(岩()波()文()庫()・塚本虎二()訳()) 個()人()訳()。手()に取()りやすい文()庫()版()。