近()代()の断()層() 第()10章()

ニーチェ フリードリヒ・ニーチェ

Friedrich Nietzsche 1844–1900 近()代()ドイツ

神()は死()んだ。意()味()が無()いなら、価()値()は自()分()で創()れ。

読()了()めやす 約()14分()

1. 一言()で

神()は死()んだ。意()味()が無()いなら、価()値()は自()分()で創()れ。

ニーチェ(1844–1900)は、こう言()い切()ったドイツの哲()学()者()です。

先()に、読()むときの構()えを一()つ。ニーチェは、短()い言葉()をパッパッと投()げるアフォリズム(断()章())という書()き方()をした人()です。しかも、わざと多()義()的()に書()く。だから「これが唯()一()の正()解()」という読()み方()は、そもそも存()在()しません。このサイトも、彼()を崇()めも、こき下()ろしもしません。史()実()は史()実()、解()釈()は解()釈()と分()けて、いっしょに考()えていきます。

2. いそがしい人()へ

3つだけ、先()に。

  • 核()心():何()が善()くて何()が悪()いか、それを決()めるのは神()ではなく、あなた自()身()だ、と最()初()に言()い切()った人()。
  • なぜ重()要():「世()界()に意()味()なんて無()いのでは」という現()代()人()の不()安()に、最()初()に名()前()をつけた。20世紀()の哲()学()・心()理()学()は、ほぼ全()部()「ニーチェへの返()事()」として始()まっています。
  • よくある誤()解():「神()は死()んだ」は勝()ち誇()った無()神()論()ではありません。むしろ足()場()が抜()ける”怖()い話()”。「超()人()」も支()配()者()のことではないし、ナチスとの結()びつきは、彼()の死()後()に作()られた濡()れ衣()です(→6章())。

3. どんな人()?

ニーチェの思()想()は、机()の上()で組()み立()てた理()屈()ではありません。彼()自()身()の、かなり過()酷()な人()生()から絞()り出()されたものです。だから、人()生()を軽()く知()っておくと、思()想()がスッと入()ります。

牧()師()の家()系()に生()まれ、4歳()で父()を亡()くし、女()性()ばかりの家()で、厳()格()なキリスト教()の道()徳()のもとに育()ちました。頭()は飛()び抜()けて良()かった。古()典()文()献()学()(古()代()ギリシア・ローマの文()章()を、言葉()や歴()史()の知()識()で精()密()に読()む学()問())の天()才()で、なんと24歳()でバーゼル大()学()の教()授()に招()かれます。論()文()も試()験()もなしの、異()例()の若()さでした。

でも、体()が弱()かった。激()しい頭()痛()、吐()き気()、視()力()の低()下()に苦()しみ、34歳()で大()学()を辞()めます。そこから約()10年()、年()金()で暮()らしながら、スイスやイタリアの空()気()のいい土()地()を転々()とし、孤()独()の中()でほぼ毎()年()1冊()を書()き続()けました。主()著()はこの時()期()のものです。

そして1889年()、トリノの広()場()で、彼()は崩()れます。鞭()で打()たれている馬()の首()に泣()きついて抱()きつき、そのまま倒()れた、という話()が伝()わっています。以()後()11年()、心()を病()んだまま、母()に、母()の死()後()は妹()に介()護()され、1900年()に亡()くなりました。

時()代()も、ちょうど揺()れていました。ダーウィンの進()化()論()、科()学()の進歩()、産()業()化()。それまで人々()の心()の支()えだったキリスト教()の権()威()が、ぐらぐらと崩()れていく時()代()です。「神()を信()じられなくなったあと、人()は何()を支()えに生()きるのか」。ニーチェの問()いは、この時()代()の空()気()そのものでした。

病()と孤()独()と失()恋()。ふつうに見()れば、つらい人()生()です。だからこそ、「人()生()を投()げ出()して、あの世()での救()いを待()つ」という逃()げ道()は、彼()にとって魅()力()的()だったはず。でも彼()は、それを「弱()さ」として、徹底()的()に拒()みました。「この苦()しい人()生()が、何()度()繰()り返()されてもいい」と言()い切()るための闘()い。それが彼()の哲()学()の正()体()だ、とよく言()われます。

4. 中()心()となる考()え

この章()で、ニーチェが押()したスイッチ

ニーチェがやったことは、一言()で言()えます。「善()悪()は誰()が決()めるのか」を、神()からあなたに付()け替()えた。

この人()が押()した、前()提()のスイッチ

登()場()前()の常()識()

善()悪()は、神()が決()める。

ニーチェ以()後()

価()値()は、自()分()が創()る。

それまで、何()が良()くて何()が悪()いかは、天()が決()めていました。神()という絶対()の権()威()があって、人()はそれに従()えばよかった。迷()わなくて済()む。ラクなんです。

ニーチェは、そのスイッチを切()りました。これが「神()は死()んだ」です。

「神()は死()んだ」は、勝()利()宣()言()じゃない

ここ、よく誤()解()されます。「神()なんていない、ザマあみろ」。そういう無()神()論()の決()め台詞()だと思()われがち。でも、逆()です。

ニーチェが言()いたかったのは、もっと不()安()な話()。「もう誰()も、神()を本()気()で信()じられなくなった。だから、何()が正()しいかを保()証()してくれる存()在()が、消()えてしまった」。これは事()件()の”診()断()”であって、お祝()いではない。むしろ怖()い話()なんです。

神()がいなくなると、こうなります。「なぜ生()きるのか」「何()が正()しいのか」に、答()えをくれる人()がいない。この、足()場()が抜()けた感()じ。これを ニヒリズム にひりずむ 最()高()の価()値()が崩()れて『なんのために生()きるか』に答()えがなくなった状()態()。 と呼()びます。最()高()の価()値()が崩()れて、「なんのために?」に答()えがなくなった状()態()のことです。

じゃあ、どうする?——自()分()で創()る

ニーチェの答()えは、ここからが本()番()です。

答()えがないなら、自()分()で価()値()を創()ればいい。 神()が決()めてくれないなら、あなたが決()める。これが 価()値()の転()換() かちのてんかん 他()人()が決()めた善()悪()を一()度()うたがい、自()分()の基()準()を持()ち直()すこと。 です。むずかしそうですが、要()は「他()人()が決()めた善()悪()を一()度()うたがって、自()分()の基()準()を持()ち直()す」こと。

ここで一()つ、彼()が見()つけた心()のクセを紹()介()します。 ルサンチマン るさんちまん 弱()い者()が強()い者()に抱()く、行()き場()のない恨()み。それが『善()』にすり替()わる心()の動()き。 。弱()い人()が強()い人()に抱()く、行()き場()のない恨()みのことです。

おもしろいのは、この恨()みがそのまま「道()徳()」に化()ける、とニーチェが見()抜()いたこと。「強()くて豊()かなあいつらは悪()い。弱()くて貧()しい自()分()たちこそ正()しい」。こう価()値()をひっくり返()して、自()分()を守()る。誰()の心()にもある動()きですよね。ニーチェは、世()の中()の「善()」のいくつかは、これでできていると言()いました。

真()実()は、一()つじゃない——遠()近()法()

もう一()つ、大()事()な道()具()が 遠()近()法()主()義() えんきんほうしゅぎ 唯一()絶対()の真()実()は無()く、ものの見()え方()は立()つ位()置()で変()わるという考()え。 。名()前()はいかついですが、中()身()はシンプルです。

「どこにも偏()らない、神()さまの目()から見()た唯()一()の真()実()」なんて無()い。あるのは、それぞれの立()ち位()置()からの”見()え方()”だけ、という考()え方()。

カメラを思()い浮()かべてください。同()じ山()でも、東()から撮()るか西()から撮()るかで、まったく違()う写()真()になる。どっちかが嘘()なわけじゃない。立()つ場()所()が違()うだけ。世()界()の見()え方()も、これと同()じだ、と。

注()意():これは「だから何()を信()じてもいい」という投()げやりとは違()います。むしろ逆()で、絶対()の正()解()がないからこそ、あなたは自()分()の責()任()で「生()きやすい見()方()」を選()び取()らないといけない。ラクはさせてくれません。

で、目指()す人間()像()が「超()人()」

ここまでをまとめた理()想()が 超()人() ちょうじん 神()に頼()らず自()分()で価()値()を創()り、昨日()の自()分()を超()えていく人間()の理()想()。 です。

漫()画()の主()人()公()みたいに、力()で他()人()をねじ伏()せる人()ではありません(この誤()解()は、あとで大()事()になります)。超()人()とは、神()に頼()らず、自()分()で価()値()を創()り、昨日()の自()分()を超()えていく人()のこと。戦()う相()手()は他()人()ではなく、過()去()の自()分()です。

そして彼()は、最()後()にとんでもない問()いを置()きます。 永()劫()回()帰() えいごうかいき 同()じ人()生()が永()遠()に繰()り返()されるとしたら、と問()う思()考()実験()。 。

「今()のこの人()生()が、細()部()までまったく同()じまま、永()遠()に何()度()も繰()り返()されるとしたら、あなたは『もう一()度()!』と言()えますか?」

これは輪廻()転()生()みたいな話()ではなく、思()考()の実験()です。「二()度()とごめんだ」と思()うなら、今()の生()き方()を変()えるしかない。逆()に「何()度()でも来()い」と言()えるなら、それが最()高()の肯()定()。今()この瞬()間()を、限()界()まで重()くするための問()い。これが、ニーチェが押()した最()後()のスイッチでした。

5. キーワード

4章()で出()てきた言葉()は、カードでいつでも引()けます。あと2つ、知()っておくと便()利()な対()概()念()を足()しておきます。

  • アポロン的()/ディオニュソス的() あぽろんてき/でぃおにゅそすてき 『悲()劇()の誕生()』の一対()の言葉()。秩()序()・形()式()・理()性()がアポロン的()、陶()酔()・混()沌()・むき出()しの生()命()力()がディオニュソス的()。ニーチェは後()者()を大()事()にした。 :処()女()作()『悲()劇()の誕生()』に出()る一対()の言葉()。秩()序()・形()式()・理()性()が「アポロン的()」、陶()酔()・混()沌()・むき出()しの生()命()力()が「ディオニュソス的()」。ニーチェは後()者()を大()事()にしました。
  • 系()譜()学() けいふがく いま当()たり前()とされる道()徳()が、どんな人間()の欲()望()や力()関()係()から生()まれてきたかを、さかのぼって暴()く手()法()。 :今()あたりまえとされている道()徳()が、歴()史()上()どんな人間()の欲()望()や力()関()係()から生()まれてきたかを、さかのぼって暴()く手()法()。「その”常()識()”、もとをたどると何()だった?」と問()うやり方()です。

(※ ニヒリズム・ルサンチマン・遠()近()法()主()義()・超()人()・永()劫()回()帰()・力()への意()志()・運()命()愛()・価()値()の転()換()・畜()群()・奴()隷()道()徳()/君()主()道()徳()は、本()文()中()のカードで、いつでも引()けます。)

6. 批()判()と限()界()

ニーチェを多()面()的()に見()るには、彼()が浴()びた批()判()と、死()後()の”濡()れ衣()”を、きちんと分()けて知()るのが近()道()です。3層()に分()けます。

(a) 当()時()の批()判() — 「学()者()くずれの、危()険()な変()わり者()」

出版()当()時()、ニーチェはほぼ無()視()されました。処()女()作()は、古()典()文()献()学()者()のウィラモーヴィッツから、学()問()の体()裁()をとった素人()芸()だ、という趣()旨()で痛()烈()に叩()かれます。これがきっかけで、学界()はニーチェを”学()者()としては終()わった人()”扱()いしました。医()師()のノルダウは彼()を「自()我()狂()」と精()神()の病()に分()類()し、思()想()ごと片()づけようとしました。

(b) 現()代()からの批()判() — 女()性()観()と、哲()学()そのものへの異()議()

ニーチェには、女()性()を低()く見()る記()述()があります。いちばん有()名()なのが「女()のところへ行()くなら、鞭()を忘()れるな」という一節()。ただし、ここは慎()重()に。これは作()中()の老()女()が語()るセリフで、ニーチェ自()身()の地()の文()ではない。この点()は、批()判()する側()も擁()護()する側()も重()視()しています。事()実()として紹()介()はしますが、決()めつけはしません。

哲()学()そのものへの批()判()も、骨太()なものがあります。哲()学()者()ラッセルは、ブッダの「普()遍()的()な思()いやり」とニーチェを並()べて、ブッダに軍配()を上()げました。ハーバーマスは「遂()行()的()矛()盾()」を指()摘()します。理()性()をまるごと否()定()すると、その否()定()を支()える自()分()の足()場()まで崩()れてしまう、というジレンマです。

(c) 曲解()・誤()用()の歴()史() — ここが、いちばん大()事()

ニーチェ哲()学()が受()けた最()大()の不()幸()は、死()後()に、妹()の手()で捻()じ曲()げられたことです。

彼()が壊()れたあと、妹()エリーザベトが遺()稿()と著()作()権()を独()占()し、資()料()館()を作()りました。そして、ニーチェが書()き散()らしたメモの断片()を、自()分()たちの都()合()のいいように選()んで並()べ替()え、一冊()の本()に仕()立()てます。これが悪()名()高()い『力()への意()志()』。つまり、あの”主()著()”とされてきた本()は、本()人()の著()作()ではないのです。 後()年()、研()究()者()コリとモンティナーリの緻()密()な調()査()で、これは「歴()史()的()な偽()造()」と断()定()されました。ニーチェ自()身()は、この本()の構()想()を生()前()に放()棄()していました。

そして決定()的()な事()実()。ニーチェ本()人()は、反()ユダヤ主()義()もドイツ国家()主()義()も、はっきり嫌()っていました。 妹()の夫()は反()ユダヤ主()義()の扇()動()者()で、ニーチェはその運()動()を「妹()との決()裂()の原()因()」とまで書()いています。国家()を「最()も冷()たい怪()物()」と呼()び、自()分()を「良()きヨーロッパ人()」と称()し、国()籍()さえ捨()てて生()きた人()でした。

なのに、その妹()がナチスを支()持()し、資()料()館()がヒトラー政()権()の支()援()を受()け、「超()人()=アーリア人()の支()配()者()」「力()への意()志()=侵()略()」へと歪()められた。ニーチェ=ナチスの哲()学()者()、という連()想()は、本()人()の思()想()とは正()反()対()の捏()造()なのです。

7. つながりと対()比()

ニーチェは、誰()から受()け取()り、誰()に渡()し、誰()と斬()り結()んだのか。地()図()にすると、思()想()史()での位()置()が見()えます。

受()け取()った人()から。 若()い頃()は哲()学()者()ショーペンハウアーの厭()世()観()に傾()倒()し、そこから出発()しました(のちに、その”生()をあきらめる姿()勢()”を批()判()して反()転()します)。作曲()家()ワーグナーとは深()い友()情()を結()びますが、彼()のキリスト教接近()と反()ユダヤ主()義()に嫌()気()がさして決()裂()。古()代()ギリシアの「万()物()は流()れる」のヘラクレイトスには、敬()意()を払()い続()けました。

渡()した相()手()は、桁()外()れです。 実()存()主()義()(サルトル・カミュ)、現()代()思()想()(フーコー)、心()理()学()(フロイト・ユング、そしてアドラー)。20世紀()の知()は、良()くも悪()くも「ニーチェへの応()答()」として広()がりました。 → このサイトでは、アドラー・カミュ・サルトル が、その”返()事()”にあたります。ニーチェを読()んだあとに彼()らを読()むと、つながりが見()えます。

斬()り結()んだ相()手()は、3組()が効()きます。

  • [ソクラテスと]:ソクラテスは「理()性()こそ最()善()の導()き手()」と信()じた人()。ニーチェは逆()に、「何()が何()でも理()性()的()であろうとすること」自()体()が、生()命()力()の衰()えのサインだと見()ました。理()性()を信()じるか、疑()うか。 ただし、敵()意()だけでなく尊()敬()も入()り混()じっている、という指()摘()もあります。
  • [キリスト教()道()徳()と]:弱()者()のルサンチマンが生()んだ「奴()隷()道()徳()」が、生()を否()定()する価()値()観()を広()めた、というのが批()判()の芯()です。
  • [ブッダと]:これがいちばん面()白()い対()比()。二人()は、同()じ場()所()から出発()します。「人()生()は、放()っておけば苦()しみだ」。でも、処()方()箋()が真()逆()。ブッダは「執()着()を手放()して、苦()しみを消()そう」。ニーチェは「手放()さず、苦()しみごと肯()定()して、超()えよう」。汚()れたキャンバスを捨()てるのではなく、何()度()でもその上()から描()き直()して楽()しむ。それがニーチェの態()度()でした。

8. いまの自()分()に、どう効()くか

ニーチェは今()、書()店()の自()己()啓()発()コーナーやSNSで、大()量()に消()費()されています。「神()は死()んだ」「運()命()を愛()せ(アモール・ファティ)」「私()を殺()さないものは、私()を強()くする」。聞()いたことのある言葉()ばかりでしょう。

ここに、功()と罪()があります。

功()は、はっきりしています。難()しい哲()学()の入口()を開()き、苦()しいときに前()を向()く勇()気()をくれる。「他()人()や環()境()のせいにせず、自()分()の見()方()を変()えて乗()り越()える」という彼()の姿()勢()は、実()用()的()で、効()きます。

でも、罪()もある。彼()の言葉()を「前()向()きに生()きよう」程()度()の明()るい名()言()に切()り縮()めると、根()っこにあった底()知()れない不()安()(神()も意()味()も無()くなった、という診()断())が、すっぽり抜()け落()ちる。すると哲()学()は、現()状()に文()句()を言()わず順応()するための”ドーピング”に化()けてしまう。

一()つだけ、見()分()けるコツを。「運()命()を愛()せ(アモール・ファティ)」は、いま流行()りのストア哲()学()ふうに「宇()宙()には意()味()があるから、起()きたことを受()け入()れよう」と説()かれがちです。でも、ニーチェは違()う。彼()は「宇()宙()に目()的()なんか無()い」と認()めた上()で、それでも生()を愛()せ、と言()う。慰()めではなく、はるかに過()酷()な要()求()です。ここを取()り違()えると、別()物()になります。

そして、これがこのサイトの背骨()につながります。ニーチェがやったのは、ライフハック(小()ワザ)ではなく、最()上()層()の書()き換()えでした。「他()人()が決()めた価()値()を一()度()うたがって、自()分()で創()り直()す」。本()来()の彼()は、安()っぽい自()己()肯()定()ではなく、自()分()と価()値()への厳()しい問()い直()しを求()めていた。だから「私()を殺()さないものは…」も、要()注()意()です。苦()しみから自()動()で強()さが湧()くわけじゃない。押()しつぶされる人()だっている。そこを承()知()の上()で、それでも引()き受()けるか。彼()が問()うたのは、そういう重()さでした。

あなたは、どう答()えますか。意()味()は、与()えられるものか。自()分()で創()るものか。それとも、無()くても生()きられるものか。 (この問()いは、カミュ と サルトル の章()で、続()きを考()えます。)

9. もっと知()る

ニーチェは、いきなり主()著()に挑()むと、ほぼ確()実()に挫()折()します。短()い箴()言()の集()まりなので、文()脈()を読()み違()えて「都()合()よく誤()読()」しやすいのです。順()番()が大()事()。

読()む順()の目()安()

  1. まず超()入()門()で全()体()像()を:飲茶()『「最()強()!」のニーチェ入()門()』(河()出()文()庫())、NHK「100分()de名()著()」(西()研())。
  2. 次()に入()門()書()で概()念()を整()理():竹田青嗣()『ニーチェ入()門()』、永()井()均()『これがニーチェだ』(こちらは少()し本()格()派())。
  3. 原()典()に進()むなら、いきなり『ツァラトゥストラ』に行()かない。『道()徳()の系()譜()』→『善()悪()の彼()岸()』→ 最()後()に『ツァラトゥストラ』 の順()が、挫()折()しにくい。

そして一()番()大()事()なコツ。バズった一()文()に出()会()ったら、必()ず出典()と文()脈()に当()たること。 SNSの切()り取()りは、本()来()の意()味()と逆()になっていることが本()当()に多()い人()です。

10. まだ決着()していないこと(両()論()ボックス)


このサイトは、確()定()した史()実()と、解()釈()が割()れる論()点()を分()けて記()述()しています。崇()拝()も断()罪()もせず、出典()に当()たれる形()を心()がけました。ニーチェについては特()に、本()人()の言葉()と、妹()による改()竄()やナチスによる悪()用()の歴()史()を、分()けるよう努()めています。

もっと知()る — ブックガイド

入()門()(まずここから)

  • 飲茶()『「最()強()!」のニーチェ入()門()』(河()出()文()庫()) 超()初()心()者()向()け・最()も平()易()。
  • NHK100分()de名()著() ニーチェ(西()研()) 図()解()豊()富()。入口()に好()適()。
  • 竹田青嗣()『ニーチェ入()門()』(ちくま新()書()) 定()番()。心()理()に引()きつけて解()説()。
  • 永()井()均()『これがニーチェだ』 中()級()。『神()』と『神()性()』を分()ける独()自()読解()。

原()典()(挑()むなら)

  • 道()徳()の系()譜() ルサンチマン・奴()隷()道()徳()の核()。入()門()に最()適()との声()が多()い。
  • 善()悪()の彼()岸() 整()然()として比()較()的()読()みやすい後()期()の代()表()作()。
  • ツァラトゥストラはこう言()った 主()著()だが最()難()関()。比()喩()が多()い。最()後()に回()すのが無()難()。