近()代()の断()層() 第()11章()

カミュ アルベール・カミュ

Albert Camus 1913–1960 20世紀()フランス(アルジェリア生()まれ)

意()味()なんて無()い。それでも、無()いと知()ったまま、反()抗()して生()きろ。

読()了()めやす 約()14分()

1. 一言()で

意()味()なんて無()い。それでも、無()いと知()ったまま、反()抗()して生()きろ。

カミュ(1913–1960)は、こう考()えたフランスの作家()・思()想()家()です。『異()邦()人()』『ペスト』の小()説()家()として知()られ、44歳()でノーベル文()学()賞()を受()けました。

先()に、読()むときの構()えを2つ。ひとつ、カミュは哲()学()者()であると同()時()に小()説()家()です。だから思()想()は、理()屈()の本()だけでなく『異()邦()人()』『ペスト』といった物語()の中()にも生()きています。ふたつ(ここは本()人()が強()くこだわった点()ですが)、カミュは「実()存()主()義()者()」と呼()ばれるのを、生()涯()ずっと拒()みました。サルトルとよく並()べられますが、本()人()は「自()分()は違()う」と。だからここでも、彼()の立場()は”不()条()理()と反()抗()の哲()学()”として、丁()寧()に扱()います。

2. いそがしい人()へ

3つだけ、先()に。

  • 核()心():意()味()は無()い。でも、だから絶()望()して終()わるんじゃない。無()いと見()据()えたまま、それでも生()きる。これがカミュの出()した、第()三()の道()です。
  • なぜ重()要():「神()が死()んだ」あと、ニーチェのように価()値()を創()るのでも、信()仰()に逃()げるのでもない、もう一()つの生()き方()を示()した。20世紀()の不()条()理()文()学()の代()表()です。
  • よくある誤()解():カミュの言葉()は、どれも「諦()め」の方()向()に誤()読()されがちです。でも「不()条()理()」も「反()抗()」も「シーシュポス」も、本()当()は正()反()対()です。目()をそらさず抗()う、能()動()的()な姿()勢()を指()しています。

3. どんな人()?

カミュの思()想()は、机()の上()で生()まれたものではありません。太()陽()と、貧()しさと、病()。この3つが、彼()の哲()学()の土()台()です。

1913年()、フランス領()アルジェリアの、とても貧()しい家()に生()まれました。父()は、その翌()年()に第()一次()大()戦()で戦()死()。生()後()1年()で父()を失()います。母()はスペイン系()で、耳()と言葉()に障()害()があり、読()み書()きができなかった。一家()は、アルジェの労()働()者()街()で暮()らします。でも、アルジェリアには、まぶしい地()中()海()の太()陽()があった。まぶしい自()然()と、絶対()的()な貧()困()。この同()居()が、カミュの原()風()景()です。

17歳()のとき、結核()を発症()します。サッカーの選()手()をめざしていた少()年()から、その夢()を奪()った病()でした。以()後()、生()涯()の持()病()になります。若()さと生()命()力()が、突()然()に中()断()される。この経()験()が、「死()は避()けられない/生()は無()意()味()だ」と直()視()する彼()の哲()学()の、身()体()的()な出発()点()になった、とよく言()われます。

大()学()で哲()学()を学()び、ジャーナリスト・劇()作家()として歩()み出()します。第()二次()大()戦()中()は、ナチスへの抵()抗()運()動()(レジスタンス)の地()下()新()聞()『コンバ』の編()集()長()として、ペンで闘()いました。

そして作()品()。1942年()に『異()邦()人()』、1947年()に『ペスト』。どちらも世()界()的()なベストセラーになります。1957年()、44歳()でノーベル文()学()賞()。史()上()2番目()の若()さでした。ところが、その3年()後()の1960年()、カミュは自()動()車()事()故()で、46歳()で急()死()します。残()された鞄()には、未()完()の自()伝()的()小()説()の草()稿()がありました。皮()肉()なことに、「人()生()は理()不()尽()だ(不()条()理()だ)」と説()いた本()人()が、突()然()の理()不()尽()な事()故()で死()んだ。これを、彼()の思()想()を体()現()する最()期()だと見()る人()は、少()なくありません。

ちなみにカミュは、自()分()の作()品()を2つの段()階()で構()想()していました。前()半()が「不()条()理()のサイクル」(異()邦()人()・シーシュポスの神()話()・カリギュラ)、後()半()が「反()抗()のサイクル」(ペスト・反()抗()的()人間())。不()条()理()に気()づく→それでも反()抗()する、という彼()自()身()の歩()みが、作()品()の順()番()にそのまま表()れています。

4. 中()心()となる考()え

この章()で、カミュが見()つけた「第()三()の道()」

カミュの出発()点()は、ある重()たい問()いです。「人()生()に意()味()が無()いなら、生()きる意()味()はあるのか?」

この人()が押()した、前()提()のスイッチ

登()場()前()の常()識()

意()味()がなければ、生()きるに値()しない。

カミュ以()後()

意()味()は無()い。それでも、反()抗()して生()きる。

彼()はこう書()きました。「本()当()に重()大()な哲()学()の問()題()は、一()つしかない。それは自()殺()だ」。物騒()に聞()こえますが、意()味()はシンプルです。「意()味()の無()い人()生()を、それでも生()きる価()値()はあるのか」。これがすべての出発()点()だ、と。

まず、「不()条()理()」を正()しくつかむ

カミュの鍵()語()が 不()条()理() ふじょうり(ラプシュルド) 意()味()を求()める人間()と、沈()黙()する無()意()味()な世()界()とがぶつかる、その緊()張()のこと。世()界()が無()意()味()なのでも人間()が無()意()味()なのでもなく、両()者()の「対()峙()」に宿()る。 です。ここ、ほとんどの人()が取()り違()えます。

不()条()理()とは、「世()界()は無()意()味()だ」ということではありません。「人間()がちっぽけだ」ということでもない。そうではなくて、意()味()を求()めずにいられない人間()と、何()も答()えてくれない沈()黙()した世()界()。この2つがぶつかる、その緊()張()そのものを、不()条()理()と呼()びます。

たとえるなら、こうです。あなたが必死()に話()しかけているのに、相()手()はずっと黙()ったまま。相()手()が悪()いわけでも、あなたが悪()いわけでもない。でも、その「噛()み合()わなさ」だけは、確()かにそこにある。世()界()と人間()のあいだにある、この噛()み合()わなさ。それが不()条()理()です。

逃()げ道()は2つある。カミュは両()方()を断()る

意()味()が無()いと気()づいたとき、人()は2つの逃()げ道()に走()りがちだ、とカミュは言()います。

ひとつは、肉()体()の自()殺()。「無()意()味()なら、もう終()わらせよう」。 もうひとつは、彼()が 哲()学()的()自()殺() てつがくてきじさつ 不()条()理()から目()をそらし、神()や信()仰()へ逃()げ込()むこと。肉()体()の自()殺()と並()んでカミュが拒()んだ逃()げ道()。 と呼()ぶもの。「無()意()味()に耐()えられないから、神()を信()じよう、何()か大()きな意()味()を信()じよう」と、信()仰()や思()想()へ 飛()躍() ひやく(ル・ソー) 不()条()理()に耐()えきれず、信()仰()や超()越()へ「跳()んで」しまうこと。カミュはこれを拒()んだ。 してしまうこと。

カミュは、この両()方()を断()ります。死()ぬのも逃()げ。信()じ込()むのも逃()げ。どちらも、不()条()理()から目()をそらしている。

じゃあ、どうする?——「反()抗()」して生()きる

残()る道()が、第()三()の道()です。 反()抗() はんこう(ラ・レヴォルト) 意()味()が無()いと知()りつつ、自()殺()も信()仰()も拒()み、明()晰()なまま生()き続()ける態()度()。政()治()的()暴()動()のことではない。 。

意()味()が無()いことを、ごまかさず、はっきり見()つめる。そのうえで、それでも生()きる。意()味()をくれない世()界()に、「それでも俺()は生()きてやる」と返()し続()ける。この、目()をそらさずに生()き続()ける態()度()そのものが、反()抗()です。政()治()的()な暴()動()のことではありません。

ここで、有()名()な シーシュポス しーしゅぽす(シジフ) 岩()を山()頂()へ押()し上()げては転()がり落()ちるのを繰()り返()す神()話()の男()。不()条()理()を引()き受()けて生()きる人間()の象()徴()。 の話()が出()てきます。神()様()に罰()せられて、重()い岩()を山()のてっぺんまで押()し上()げる男()。でも、頂()上()に着()くと岩()は転()がり落()ちて、また一()からやり直()し。永()遠()に。どう見()ても、むなしい刑()罰()ですよね。

ところがカミュは、最()後()にこう書()きます。「シーシュポスは幸()福()だと想()像()しなければならない」。なぜか。岩()を押()すという無()意()味()な行()為()を、彼()が”自()分()のもの”として引()き受()けているから。運()命()をごまかさず、見()下()しさえして、それでも押()し続()ける。その姿()に、カミュは不()条()理()を生()きる人間()の理()想()を見()ました。

そして、一人()から「われら」へ

カミュはここで終()わりませんでした。

不()条()理()に反()抗()する。それは最()初()、一人()の闘()いです。でも、よく見()ると、苦()しみも、意()味()の無()さも、みんなが同()じように抱()えている。だから反()抗()は、自()然()と他()者()とつながっていく。彼()はこう言()いました。「われ反()抗()す、ゆえにわれら在()り」。デカルトの「われ思()う、ゆえにわれ在()り」をもじった言葉()です。反()抗()が、孤()独()な「私()」を、連()帯()する「われら」に変()える。これが 連()帯() れんたい(ラ・ソリダリテ) 反()抗()から生()まれる、他()者()との共()通()の闘()い。「われ反()抗()す、ゆえにわれら在()り」。 です。

小()説()『ペスト』で描()かれたのは、これです。疫()病()という不()条()理()に、英()雄()ぶるでもなく、ただ淡々()と、誠()実()に立()ち向()かう人々()の姿()でした。

5. キーワード

4章()の言葉()は、カードでいつでも引()けます。あと2つ、この先()の章()で使()う言葉()を足()します。

  • 論()理()的()犯()罪() ろんりてきはんざい 「正()義()」「歴()史()の必()然()」を口()実()に、国家()や組()織()が正()当()化()して行()う殺()戮()。カミュが最()も憎()んだもの。 (ろんりてきはんざい):「正()義()のため」「歴()史()の必()然()だから」という”大()義()名()分()”を口()実()に、国家()や組()織()が正()当()化()して行()う殺()戮()のこと。カミュが最()も憎()んだものです。この言葉()が、サルトルとの論()争()と、アルジェリア問()題()を貫()く軸()になります(6章())。
  • 地()中()海()的()思()想() ちちゅうかいてきしそう(ラ・パンセ・ド・ミディ) 太()陽()と自()然()と人間()の有()限()性()を肯()定()する南方()の思()想()。全()体()主()義()的()な「歴()史()至()上()主()義()」への対()抗()概()念()。 (ちちゅうかいてきしそう):太()陽()・自()然()・人間()の有()限()性()を肯()定()する、南()の思()想()。「歴()史()のためなら何()をしてもいい」という北方()的()・全()体()主()義()的()な考()えへの、カミュの対()抗()概()念()です。「反()抗()には限()界()(節()度())が要()る」という彼()の倫()理()の、土()台()になっています。

(※ 不()条()理()・反()抗()・連()帯()・シーシュポス・哲()学()的()自()殺()・飛()躍()・限()界()・ムルソーは、本()文()中()のカードで、いつでも引()けます。)

6. 批()判()・限()界()

カミュは、世界中()に読()まれる作家()です。でも、彼()への批()判()もきちんと知()っておきたい。3層()で見()ます。

(a) 当()時()の文()脈() — サルトルとの決()裂()

カミュは、生()涯()「実()存()主()義()者()」と呼()ばれることを拒()みました。「『シーシュポスの神()話()』はむしろ実()存()主()義()への反()対()として書()いた」と。にもかかわらず、よくサルトルと並()べられた。

そして1951年()に『反()抗()的()人間()』を出()すと、翌()1952年()、サルトルと、公()の場()で激()しく論()争()し、友()情()が決()裂()します。争()点()は「革()命()のための暴()力()を、認()めるか」。当()時()ソ連()寄()りだったサルトルは、「歴()史()を前()に進()める(貧()困()や抑()圧()を倒()す)ためには、暴()力()もやむをえない」と考()えた。カミュは、真()っ向()から拒()みます。「どんな立派()な大()義()があっても、現()実()の人間()を強()制()収容所()に送()るような暴()力()は、絶対()に認()められない」と。この対()立()は、冷()戦()下()のフランス知()識()人()を二分()する大()事()件()になりました。

(b) 思()想()的()な批()判() — 論()理()は一貫()しているか

哲()学()として見()ると、内()側()から問()われる弱()点()があります。

カミュは最()初()、『シーシュポスの神()話()』で「徹底()的()に孤()独()な個()人()の不()条()理()」を描()いた。なのに『ペスト』『反()抗()的()人間()』では、急()に「われら(連()帯())」へと進()む。「世()界()は無()意()味()だ」という出発()点()から、なぜ「他()者()の尊()厳()を守()るべきだ」という道()徳()が出()てくるのか?

(c) 政()治()的()な批()判() — アルジェリアと「正()義()と母()」

カミュへの最()も激()しい批()判()は、故()郷()アルジェリアの独()立()戦()争()への態()度()に向()けられました。

【事()実()】カミュは、フランスの植()民()地()支()配()を早()くから批()判()していました。同()時()に、独()立()派()(FLN)による無()差()別()テロも強()く拒()んだ。そして、フランス系()とアラブ系()が共()に暮()らす道()(連邦()制())を訴()えた。結果()として、独()立()派()からも、植()民()地()維()持()派()からも、敵()視()されます。

そして、有()名()な「正()義()と母()」発()言()。ここは、経()緯()ごと正()確()に知()る必()要()があります。1957年()、ノーベル賞()でストックホルムを訪()れたとき、アルジェリア人()の学()生()に詰()め寄()られて、カミュはこう答()えました。「いま、市()電()に爆()弾()が仕()掛()けられている。私()の母()も、その市()電()に乗()っているかもしれない。もしそれが正()義()なら、私()は母()を選()ぶ」(伝()えられる文()言()には、いくつかの系()統()があります)。

この発()言()が、のちに「正()義()と母()のあいだで、私()は母()を選()ぶ」と短()く縮()められて広()まり、「身()内()さえ無()事()なら、正()義()なんてどうでもいいのか」と激()しく非()難()されました。でも、元()の文()脈()は違()います。「無()差()別()に市()民()を殺()すテロは、そもそも正()義()とは呼()べない」という、反()テロの訴()えだったのです。短()縮()版()だけが一人()歩()きした、という経()緯()ごと押()さえておきたいところです。

7. つながりと対()比()

カミュは、誰()から受()け取()り、誰()を拒()み、誰()と決()裂()したのか。

受()け取()り、そして乗()り越()えた相()手()が、ニーチェ。 「神()は死()んだ」「不()快()な真()実()から目()をそらさない」。この姿()勢()を、カミュはニーチェから受()け継()ぎました。でも、道()が分()かれます。ニーチェは「価()値()を自()分()で創()れ(超()人())」へ進()んだ。カミュは、そこへは進()まず、意()味()の無()さにとどまって反()抗()する道()を選()んだ。それどころか、「ニーチェの”超()人()”は、強()者()の論()理()や全()体()主()義()に悪()用()された」と批()判()し、「反()抗()には、他()者()を壊()さない限()界()(節()度())が要()る」という倫()理()を付()け足()しました。ここがカミュの独()自()性()です。

拒()んだ相()手()が、キルケゴールたち。 不()条()理()に気()づきながら、最()後()は神()や超()越()へ「飛()躍()」してしまう彼()らを、「哲()学()的()自()殺()」と呼()んで退()けました。 → このサイトでは、ニーチェ・フランクル・ブッダ につながります。

そして、4人()を並()べてみましょう。「意()味()の四()つ巴()」です。 「人()生()に意()味()は無()い」という同()じ崖()を前()に、4人()の答()えが、見事()に分()かれます。

  • ニーチェ:意()味()を、自()分()で創()れ。
  • ブッダ:意()味()への執()着()を、手放()せ。
  • フランクル:意()味()を、見出()して応()えよ。
  • カミュ:意()味()は無()い。それでも、無()いまま反()抗()して生()きろ。

4人()のうち、カミュだけが、意()味()を「作()りもせず、手放()しもせず、見出()しもしない」。 意()味()が無()いという事()実()を、まっすぐ見()つめたまま、その緊()張()を抱()えて生()きる。この踏()みとどまり方()が、カミュの際()立()ちです。

8. いまの自()分()に、どう効()くか

カミュは、いまも世界中()で読()まれています。『異()邦()人()』は60以上()の言()語()に訳()され、600万()部()を超()えたと言()われます。そして、2020年()、コロナ禍()で『ペスト』が世()界()的()に再()ブームになったのを、覚()えている人()もいるでしょう。日本()でも数()か月()で大()幅()に増()刷()され、各()紙()が「いま読()むべき本()」として取()り上()げました。疫()病()でも、災()害()でも、気()候()変()動()でも、「自()分()にとっての不()条()理()」に置()き換()えて読()める。そういう普()遍()性()が、彼()の作()品()にはあります。これが功()。

でも、罪()もある。「不()条()理()」「シーシュポスの岩()」という言葉()が、すっかり日()常()語()になりました。職()場()の理()不()尽()を「不()条()理()だ」、終()わりのない雑()務()を「シーシュポスみたい」と。便()利()な言葉()になった反()面()、カミュが込()めた中()身()は、抜()け落()ちがちです。とくに危()ないのが、「不()条()理()=とりあえず理()不()尽()を受()け入()れて、諦()めること」という誤()解()。

そして、ここにこのサイトの背骨()が顔()を出()します。カミュの「反()抗()」を「諦()め」と取()り違()えること。これこそ、最()上()層()の思()想()が小()手()先()にすり替()わる瞬()間()の、見()本()のような誤()読()です。

カミュの反()抗()は、諦()めの正()反()対()です。目()をそらして受()け入()れることではなく、目()をそらさずに、それでも抗()い続()けること。岩()を押()すシーシュポスは、諦()めてなどいません。運()命()を見()下()しながら、なお押()し続()けている。理()不()尽()を「不()条()理()だから仕()方()ない」とやり過()ごす処()世()術()に、この激()しさを薄()めてしまわない。カミュを読()むなら、そこだけは手放()したくないところです。

9. もっと知()る

カミュは、小()説()から入()れるのが強()みです。順()番()はこう。

読()む順()の目()安()

  1. まず『異()邦()人()』。短()い小()説()で、不()条()理()の感()覚()を物語()として体()で掴()めます。
  2. 次()に『ペスト』。連()帯()のテーマ。近()年()の新()訳()は読()みやすい。
  3. それから『シーシュポスの神()話()』。1・2の哲()学()的()な背()景()が、ここで腑()に落()ちます。
  4. 最()後()に『反()抗()的()人間()』。最()難()関()。反()抗()の倫()理()と歴()史()を、じっくり。

入()門()書()なら、NHK「100分()de名()著()」のカミュ『ペスト』が入口()に好()適()。サルトルとの論()争()に興()味()が出()たら、『革()命()か反()抗()か―カミュ=サルトル論()争()―』で当()時()の応()酬()そのものが読()めます。

(※ 邦()訳()は新()潮()文()庫()の定()番()訳()に加()え、近()年()いくつかの新()訳()が出()ています。最()初()の一冊()は、手()に取()りやすいものでかまいません。)

10. まだ決着()していないこと(両()論()ボックス)


このサイトは、確()定()した史()実()と、解()釈()が割()れる論()点()を分()けて記()述()しています。崇()拝()も断()罪()もせず、出典()に当()たれる形()を心()がけました。カミュについては特()に、「不()条()理()」を安()易()な絶()望()とも、気()取()ったポーズとも取()り違()えないよう努()めています。

もっと知()る — ブックガイド

入()門()(まずここから)

  • NHK100分()de名()著() カミュ ペスト(中()条()省()平()) 入口()に好()適()。
  • 『革()命()か反()抗()か―カミュ=サルトル論()争()―』(新()潮()文()庫()) 論()争()の一次()文()書()を読()める。

原()典()(挑()むなら)

  • 異()邦()人()(新()潮()文()庫()・窪()田()啓()作()訳()) 短()く物語()として読()める。導()入()に最()適()。
  • ペスト(新()潮()文()庫()・宮崎嶺雄()訳()/近()年()の新()訳()も複()数()) 連()帯()のテーマ。コロナ禍()で再()ブーム。新()訳()は読()みやすい。
  • シーシュポスの神()話()(新()潮()文()庫()・清水()徹()訳()) 不()条()理()の哲()学()の核()。『異()邦()人()』とセットで。
  • 反()抗()的()人間()(新()潮()文()庫()) 最()難()関()。反()抗()の倫()理()と歴()史()。後()回()しでよい。