自()己()啓()発()の源()流() 第()3章()

アドラー アルフレッド・アドラー

Alfred Adler 1870–1937 近()代()オーストリア(個()人()心()理()学())

過()去()が私()を決()めるのではない。私()が『今()の目()的()』のために、過()去()を使()っている。

読()了()めやす 約()14分()

1. 一言()で

過()去()が私()を決()めるのではない。私()が「今()の目()的()」のために、過()去()を使()っている。

アルフレッド・アドラー(1870–1937)は、こう考()えたオーストリアの精()神()科()医()です。フロイト、ユングと並()ぶ、心()理()学()の祖()の一人()です。

先()に、読()むときの構()えをひとつだけ。日本()でアドラーといえば、大()ベストセラー『嫌()われる勇()気()』ですよね。あの本()でアドラーを知()った人()が、ほとんどだと思()います。でも、大()事()なことを言()います。あの本()は、アドラー本()人()が書()いた本()ではありません。 岸()見()一郎()さんという哲()学()者()による、“解()釈()本()”です。だからこのページでは、「アドラー本()人()の思()想()」と「『嫌()われる勇()気()』が描()くアドラー像()」を、注()意()深()く分()けて見()ていきます。そして、崇()めも、こき下()ろしもしません。

2. いそがしい人()へ

3つだけ、先()に。

  • 核()心():過()去()のトラウマが今()の自()分()を決()めるのではない。「今()、こうしたい」という目()的()のために、過()去()に意()味()づけをしている(目()的()論())。だから、目()的()を変()えれば、生()き方()は変()えられる。
  • なぜ重()要():人()を「過()去()の囚()人()」から「未()来()の設計()者()」へ解()放()した。スマイルズ・ドゥエックと同()じ「自()分()で人()生()を選()べる」という系()譜()です。
  • よくある誤()解():有()名()な「トラウマは存()在()しない」「課()題()の分()離()」「嫌()われる勇()気()」。この3つとも、実()はアドラー本()人()の言葉()ではありません(本()文()で解()きます)。

3. どんな人()?

アドラーの理()論()は、彼()自()身()の「弱()さ」から生()まれました。

1870年()、ウィーンに生()まれた彼()は、とても病()弱()な子()でした。くる病()で4歳()まで歩()けず、5歳()のときには肺()炎()で死()にかけている。弟()を亡()くす経()験()もした。この「自()分()は弱()い」という痛()切()な感()覚()が、後()の彼()の中()心()概()念()(「劣等()感()」と、それを乗()り越()えようとする力()の理()論())の源()になります。

1902年()、彼()はフロイトの研()究()会()に加()わります。よく「フロイトの弟()子()」と誤()解()されますが、実際()は対()等()な同()僚()で、後()に学会長()も務()めました。でも、二人()の考()えは、決定()的()に食()い違()っていく。フロイトは、人()を「過()去()の原()因()」と「性()の欲()動()」で説()明()した。アドラーは、人()を「未()来()の目()的()」と「社()会()的()なつながり」で捉()えた。この対()立()は埋()まらず、1911年()に決()別()。アドラーは独()自()の「個()人()心()理()学()」を打()ち立()てます。

第()一次()大()戦()に軍()医()として従()軍()し、戦()争()の惨()禍()を目()の当()たりにした彼()は、「人()は、他()者()とつながり、貢()献()してこそ幸()福()になれる」という考()え(共()同()体()感()覚())を深()めていきます。戦()後()は、ウィーンに児()童()相()談()所()を作()り、教()師()や親()への教()育()に力()を注()いだ。難()しい理()論()を、普()通()の人々()の役()に立()つ形()で届()けようとした。心()理()学()を、庶()民()に開()いた人()でした。ユダヤ系()だったため、ファシズムの台()頭()で活()動()が難()しくなり、1932年()に渡()米()。1937年()、講()演()旅()行()の途()中()、スコットランドで亡()くなりました。

4. 中()心()となる考()え

この章()で、アドラーが引()っくり返()した「原()因()と目()的()」

アドラーの中()心()にあるのは、たった一()つの発想()の転()換()です。あなたを縛()っているのは「過()去()」ではなく、あなたの「今()の目()的()」だ。

この人()が押()した、前()提()のスイッチ

登()場()前()の常()識()

過()去()のトラウマが、今()の私()を決()めている(原()因()論())。

アドラー以()後()

私()は『今()の目()的()』のために、過()去()を使()っている(目()的()論())。

たとえば「昔()いじめられた。だから、外()に出()られない」。ふつう、こう考()えますよね。過()去()の原()因()が、今()の結果()を決()めている、と。これを 原()因()論() げんいんろん(Kausalität) 行()動()は過()去()の原()因()によって決()まる、というフロイト的()な立場()。アドラーはこれを逆()転()させ、目()的()論()を唱()えた。 といいます。アドラーは、これを引()っくり返()しました。順()番()が逆()だ、と言()うんです。「外()に出()て、また傷()つきたくない」。そういう”今()の目()的()”が先()にあって、その目()的()をかなえる材()料()として、過()去()のいじめの記()憶()を持()ち出()している。これを 目()的()論() もくてきろん(Finalität) 行()動()は過()去()の原()因()でなく『今()の目()的()』が決()める、という立場()。フロイトの原()因()論()の逆()。 といいます。

冷()たく聞()こえるかもしれません。でも、ここには強()烈()な希()望()があります。過()去()は、変()えられない。でも、過()去()に「どんな意()味()を与()えるか」は、今()の自()分()が決()めている。だとしたら、今()の目()的()を切()り替()えさえすれば、人()は、いつでも変()われる。

いちばん大()事()な注()意()——有()名()な3つの言葉()は、本()人()のじゃない

ここで、大()事()なことを、正()直()に言()っておきます。あなたがアドラーと聞()いて思()い浮()かべる言葉()。たぶん、この3つですよね。「トラウマは存()在()しない」「課()題()の分()離()」「嫌()われる勇()気()」。

実()は、この3つとも、アドラー本()人()の言葉()ではありません。

これらは、日本()で大()ベストセラーになった『嫌()われる勇()気()』(岸()見()一郎()・古賀史健())が広()めたものです。この本()は素()晴()らしい入口()ですが、アドラー本()人()が書()いた本()ではなく、“解()釈()本()”なんです。ひとつずつ、見()てみましょう。

  • 「トラウマは存()在()しない」。これは本()の見()出()しで、著()者()自()身()が「もちろん、トラウマそのものは存()在()します」と断()っています。アドラーが本()当()に言()ったのは「トラウマは無()い」ではなく、「トラウマが、今()のあなたを”決定()”するわけではない」ということ。過()去()の存()在()を消()したのではなく、過()去()の”支()配()力()”を否()定()したんです。
  • 「課()題()の分()離()」。これはアドラーの用()語()ですらありません。日本()の野田()俊()作()という精()神()科()医()(初()代()日本()アドラー心()理()学会()会()長())が広()めた言葉()で、本()人()も、アドラーはどこにも書()いていない、あれは自()分()が言()いだしたものだ、と認()めています。
  • 「嫌()われる勇()気()」。これもアドラーの言葉()ではなく、本()のためのキャッチコピーです。

なぜ、こんな細()かいことを言()うのか。次()で分()かります。

抜()け落()ちた、いちばん大()事()なもの——共()同()体()感()覚()

『嫌()われる勇()気()』は、「課()題()の分()離()」、つまり「他()人()の課()題()に踏()み込()むな、あなたはあなたの人()生()を生()きろ」という部()分()が、大()きく響()きました。同()調()圧()力()に疲()れた人()にとって、これは救()いでした。

でも、アドラーが本()当()に一()番()大()事()にしたのは、その先()です。 共()同()体()感()覚() きょうどうたいかんかく(Gemeinschaftsgefühl) 他()者()を仲()間()と見()なし、社()会()に貢()献()しようとする感()覚()。アドラー思()想()の到()達()点()。同()調()圧()力()とは正()反()対()。 。他()者()を「敵()」ではなく「仲()間()」と見()て、その仲()間()に貢()献()することにこそ、幸()福()がある、という考()え。「課()題()の分()離()」は、そこへ至()るための入()り口()にすぎなかった。ところがブームでは、入()り口()の「切()り離()し」ばかりが強()調()され、ゴールの「つながり・貢()献()」が、すっぽり抜()け落()ちてしまった。

面()白()い証()拠()があります。「課()題()の分()離()」を広()めた当()の野田()俊()作()その人()が、『嫌()われる勇()気()』を「“課()題()の分()離()”ばかり強()調()して、肝心()の”協()力()”が抜()けている」と、実()は批()判()していたんです。看()板()になった言葉()を作()った本()人()が、その使()われ方()に首()をかしげている。ここ、覚()えておいてください。

劣等()感()は、悪()者()じゃない

もう一()つ、誤()解()を解()いておきます。 劣等()感() れっとうかん(Minderwertigkeitsgefühl) 理()想()の自()分()に比()べ『劣()る』と感()じる感()覚()。誰()もが持()つ正()常()なもので、成()長()のバネ。悪()ではない。 。これ、悪()いものだと思()われていますよね。でもアドラーにとって、劣等()感()は成()長()のバネです。「今()の自()分()じゃダメだ、もっと良()くなりたい」。この感()覚()があるから、人()は努()力()できる。問()題()なのは、劣等()感()を「言()い訳()」にして、挑()戦()から逃()げること( 劣等()コンプレックス れっとうこんぷれっくす 劣等()感()を『言()い訳()』にして課()題()から逃()げる態()度()(例():学()歴()が低()いから無()駄()だ)。劣等()感()とは区()別()される。 )のほう。劣等()感()そのものは、あなたの敵()ではありません。

5. キーワード

4章()の言葉()は、カードでいつでも引()けます。あと2つ、知()っておくと深()まる言葉()を。

  • 優()越()性()の追()求() ゆうえつせいのついきゅう(Streben nach Überlegenheit) より良()くなろうとする普()遍()的()な欲求()。他()人()に勝()つことではなく、理()想()の自()分()へ近()づくこと。 (ゆうえつせいのついきゅう):もっと良()くなりたい、という誰()もが持()つ欲求()のこと。ここで大()事()なのは、これは「他()人()に勝()つこと」ではないということ。他()人()を蹴()落()として上()に立()つのは、アドラーに言()わせれば、ゆがんだ形()。本()来()は、昨日()の自()分()より前()へ、“理()想()の自()分()”へ近()づこうとする、健()やかな力()です。他()人()との競()争()(縦()の関()係())ではなく、自()分()の成()長()(横()の関()係())。
  • ライフスタイル らいふすたいる(Lebensstil) 人()生()・自()己()・世()界()への意()味()づけの一貫()した型()(いわゆる性()格())。幼()少()期()に自()分()で選()び、選()び直()せる。 (らいふすたいる):いわゆる「性()格()」のこと。でもアドラーは、性()格()を「生()まれつきの宿()命()」とは考()えませんでした。それは幼()い頃()に、自()分()で選()び取()った、世()界()への向()き合()い方()の”型()”だ、と。だから、選()び直()せる。「自()分()はこういう性()格()だから」は、変()えられない言()い訳()ではなく、今日()から選()び直()せるもの。ここにも、彼()の希()望()があります。

(※ 目()的()論()・劣等()感()・劣等()コンプレックス・共()同()体()感()覚()・課()題()の分()離()は、本()文()中()のカードで、いつでも引()けます。)

6. 批()判()・限()界()

アドラーには、強()い批()判()もあります。3層()で、両()方()を見()ます。

(a) 「トラウマは存()在()しない」への、脳()科()学()からの批()判()

現()代()のトラウマ研()究()は、深()刻()な心()の傷()(PTSDなど)が、脳()や神()経()に生()理()的()な変()化()を残()すことを示()しています。だから「引()きこもるのは本()人()の目()的()だ」と目()的()論()を無()理()に当()てはめると、本()当()に苦()しんでいる人()に「治()らないのは、あなたの勇()気()が足()りないからだ」と責()める、二次()加()害()になりかねない。

(b) 『嫌()われる勇()気()』ブームの、功()と罪()

功()は大()きい。ほぼ無()名()だったアドラーを、日本中()に広()めた(2024年()時()点()で国()内()300万()部()、世()界()1180万()部()超())。同()調()圧()力()に苦()しむ人()に、実践()的()な救()いを届()けた。

罪()もある。何()度()も言()うように、「課()題()の分()離()」ばかりが独()り歩()きし、到()達()点()の「共()同()体()感()覚()(他()者()への貢()献())」が抜()け落()ちた。「すべては勇()気()の問()題()」「他()人()の課()題()は関()係()ない」が、冷()たい自()己()責()任()論()や、人間()関()係()の切()り捨()てに横()すべりする。実際()、2017年()にこの本()がドラマ化()されたとき、日本()アドラー心()理()学会()が、その内()容()はアドラー心()理()学()の一般()的()な理()解()とかなり異()なる、として公()式()に抗()議()しています。

(c) そもそも「科()学()」なのか

科()学()哲()学()者()のカール・ポパーは、アドラーの理()論()を「反()証()不()可()能()」(つまり、人()がどんな行()動()をとっても後()付()けで説()明()できてしまうから、科()学()として検()証()できない)として、疑()似()科()学()の代()表()例()に挙()げました。有()名()な逸()話()があります。ポパーがある少()年()の事()例()を報()告()すると、アドラーは本()人()を診()もせずに、劣等()感()の理()論()で即()座()に説()明()した。「なぜ分()かるのか」と問()うと、「私()の千()倍()の経()験()から」と答()えたそうです。

7. つながりと対()比()

アドラーは、誰()と決()別()し、誰()とつながるのか。

決()別()したのは、フロイトとユング。 深()層()心()理()学()の3人()の祖()ですが、向()きが違()う。フロイト=過()去()の原()因()、ユング=集()合()的()無()意()識()、アドラー=未()来()の目()的()と社()会()的()つながり。アドラーは、その「最()初()の反()逆()者()」でした。

そして、意()外()な近()さがあるのが、フランクル。 これは、このサイトの中()でつながる話()です。あの『夜()と霧()』のフランクルは、若()い頃()、アドラーの研()究()会()に所()属()していました。 でも「意()味()」を中()心()に据()えたことで、1927年()ごろに除()名()され、独()自()のロゴセラピーへ進()みます。並()べると、きれいに整()理()できます。「快()への意()志()」(フロイト)、「権()力()への意()志()」(アドラー)、「意()味()への意()志()」(フランクル)。この3人()は、ウィーンから出()た心()理()学()の、三()つの流()れなんです。

同()じ束()のスマイルズ・ドゥエック とは、「過()去()や環()境()を言()い訳()にせず、自()分()で人()生()を選()ぶ」という自()己()決定()の系()譜()でつながります。ドゥエックの「人()は変()われる」と、アドラーの「目()的()を変()えれば変()われる」は、同()じ方()向()を向()いています。

そしてニーチェの「力()への意()志()」が、アドラーの「優()越()性()の追()求()」に影()響()を与()えている。ただしニーチェが孤()高()の超()人()へ向()かうのに対()し、アドラーは、あくまで共()同()体()との調()和()を手放()しませんでした。 → このサイトでは、フランクル・スマイルズ・ドゥエック・ニーチェ につながります。

8. いまの自()分()に、どう効()くか

アドラー(というより『嫌()われる勇()気()』)は、いまも効()きます。これが功()。「空()気()を読()む」「他()人()の顔()色()をうかがう」。そんな同()調()圧()力()に疲()れた人()にとって、「承()認()欲求()から自()由()になれ、自()分()の人()生()を選()べ」というメッセージは、強()力()な解()毒()剤()になりました。

でも、罪()もある。「課()題()の分()離()」だけが独()り歩()きして、「これは他()人()の課()題()だから、自()分()には関()係()ない」「すべては個()人()の勇()気()の問()題()だ」という、冷()たい自()己()責()任()論()や、人間()関()係()の切()り捨()てに、縮()んでしまう。アドラーが一()番()大()事()にした「仲()間()への貢()献()」とは、真()逆()の孤()立()を生()む。

ここで、この束()の3人()を並()べると、ぞっとするような共()通()点()が見()えてきます。

スマイルズの有()名()な言葉()は、本()人()の創()作()ではありませんでした。ドゥエックの「努()力()をほめる」実践()は、本()人()が”偽()物()”だと警()告()したものでした。そしてアドラーの「課()題()の分()離()」は、本()人()の用()語()ですらなく、それを作()った野田()さん自()身()が、使()われ方()を嘆()いていた。3人()そろって、「看()板()」と「中()身()」が、ずれているんです。

なぜ、こうなるのか。答()えは、たぶんこうです。自()己()啓()発()は、耳()ざわりのいい”枝()葉()”だけが、切()り取()られて広()まる。 「努()力()すれば報()われる」「成()長()マインドセットを持()て」「課()題()を分()離()せよ」。どれも、キャッチーな一言()に縮()められて、本()人()が込()めた深()い部()分()(人()格()、戦()略()と助()け、そして仲()間()への貢()献())が、ぽろぽろとこぼれ落()ちていく。

アドラーが本()当()に言()ったのは、「他()人()を切()り離()して自()由()になれ」ではありません。「自()分()で人()生()を選()び、そのうえで、仲()間()に貢()献()せよ」でした。切()り離()しは手()段()で、貢()献()こそが目()的()。枝()葉()(課()題()の分()離())だけ持()ち帰()って、根()(共()同()体()感()覚())を置()いてくると、あの温()かいアドラーが、冷()たい自()己()責()任()の道()具()に変()わってしまう。 これが、自()己()啓()発()の源()流()を3人()たどって、見()えてくる共()通()のわなです。だからこのサイトは、枝()葉()の一言()でなく、根()っこごと、思()想()を渡()したい。

9. もっと知()る

アドラーは、入口()と、その先()を分()けて考()えるのがコツです。

読()む順()の目()安()

  1. まずは『嫌()われる勇()気()』(岸()見()一郎()・古賀史健())。対()話()形()式()で、いちばん読()みやすい。ただし、これは”解()釈()本()”だと意()識()して読()んでください。
  2. そのうえで、必()ず続()編()『幸()せになる勇()気()』か、本()の第()4夜()まで読()み進()めること。アドラーの本()当()の到()達()点()「共()同()体()感()覚()」は、そこにあります。「課()題()の分()離()」で止()まると、半()分()しか受()け取()れません。
  3. 本()人()の言葉()に触()れたければ、『人()生()の意()味()の心()理()学()』『個()人()心()理()学()講()義()』(ともに岸()見()一郎()訳()、アルテ)へ。これがアドラー自()身()の著()作()です(ただし難()易()度()は上()がります)。

10. まだ決着()していないこと(両()論()ボックス)


このサイトは、確()定()した事()実()と、解()釈()が割()れる論()点()を分()けて記()述()しています。崇()拝()も断()罪()もせず、出典()に当()たれる形()を心()がけました。アドラーについては特()に、本()人()の思()想()と、『嫌()われる勇()気()』が描()いたアドラー像()を、混()ぜないよう努()めています。

もっと知()る — ブックガイド

入()門()(まずここから)

  • 嫌()われる勇()気()(岸()見()一郎()・古賀史健()・ダイヤモンド社()) ★解()釈()本()(本()人()著()作()でない)。入口()として最()良()だが「岸()見()フィルター」。対()話()篇()で最()も易()しい。
  • アドラー心()理()学()入()門()(岸()見()一郎()・ベスト新()書()) 解()説()書()。本()人()著()作()への橋()渡()し。

原()典()(挑()むなら)

  • 人()生()の意()味()の心()理()学()(岸()見()一郎()訳()・アルテ) 本()人()著()作()。晩()年()の代()表()作()。共()同()体()感()覚()・人()生()の三大()課()題()。中()〜上()級()。
  • 個()人()心()理()学()講()義() 生()きることの科()学()(岸()見()一郎()訳()・アルテ) 本()人()著()作()。米()国()移()住()後()の俯()瞰()書()。中()〜上()級()。