自()己()啓()発()の源()流() 第()2章()

ドゥエック キャロル・ドゥエック

Carol Dweck 1946– 現()代()アメリカ(心()理()学())

能()力()は、生()まれつきの固()定()量()じゃない。伸()ばせると信()じるかどうかで、変()わる。

読()了()めやす 約()13分()

1. 一言()で

能()力()は、生()まれつきの固()定()量()じゃない。伸()ばせると信()じるかどうかで、変()わる。

キャロル・ドゥエック(1946–)は、これを実験()で示()したアメリカの心()理()学()者()です。「成()長()マインドセット」という言葉()の生()みの親()、と言()えば、聞()いたことがあるかもしれません。

先()に、読()むときの構()えを2つ。ひとつ、ドゥエックは存()命()の現()役()科()学()者()で、これは哲()学()ではなく実証()研()究()です。だから「その効()果()は、本()当()にあるのか?」という検()証()の話()が、どうしてもついて回()る。そこも、後()半()で正()直()に扱()います(これが、思()想()と科()学()の違()うところです)。ふたつ、「成()長()マインドセットを持()とう!」という薄()いスローガンを見()たことがあるかもしれませんが、あれは、ドゥエック本()人()が”偽()物()”だと警()告()しているものです。崇()めも、こき下()ろしもしません。

2. いそがしい人()へ

3つだけ、先()に。

  • 核()心():能()力()は生()まれつきの固()定()量()ではなく、努()力()・戦()略()・学()習()で伸()ばせる。そう信()じるか(成()長()マインドセット)、固()定()だと信()じるか(固()定()マインドセット)で、失敗()への反応()が変()わる。
  • なぜ重()要():「失敗()=無()能()の証()明()」を「失敗()=学()びの途()中()」へ、失敗()の意()味()を書()き換()えた。スマイルズの「努()力()は報()われる」の、現()代()の科()学()版()です。
  • よくある誤()解():「成()長()マインドセット=とにかく努()力()をほめる」ではない(本()人()が”偽()物()”と呼()ぶ)。「ポジティブ思()考()」でもない。そして、「絶()大()な効()果()がある」わけでもありません(効()果()は小()さく、層()による。後()半()で正()直()に)。

3. どんな人()?

ドゥエックの研()究()の原()点()には、彼()女()自()身()の子()ども時()代()の経()験()があります。通()っていた小学校()で、IQテストの順()番()に、席()が決()められたのです。頭()がいいとされた子()は前()の席()、そうでない子()は後()ろの席()。「能()力()は、生()まれつき決()まっていて、順()位()がつくもの」。そういう世()界()観()の中()で、彼()女()は育()ちました。

大人()になった彼()女()が問()うたのは、こういうことでした。「有()能()とされる子()が、たった一()度()の失敗()で諦()めてしまう。逆()に、そうでもない子()が、失敗()しても燃()えて食()らいつく。この差()は、いったい何()なのか」。心()理()学()者()として、彼()女()はこれを何()十年()もかけて、実験()で調()べていきます。

ここで、大()事()なことを押()さえておきます。ドゥエックは、数()十年()にわたり査()読()研()究()を積()み重()ねた、厳()密()な実証()研()究()者()です。同()時()に、『マインドセット』という世()界()的()ベストセラーの著()者()でもある。この二()面()性()(科()学()者()であり、ベストセラー著()者()でもある)が、この人()を見()るときの鍵()になります。彼()女()の主()張()は、思()いつきの人()生()論()ではなく、実験()データに基()づいている。でも、その主()張()が世()に広()まる過()程()で、いろいろなことが起()きた。それが、この章()の物語()です。

4. 中()心()となる考()え

この章()で、ドゥエックが見()つけた「信()念()のちがい」

ドゥエックの発見()は、たった一()つの問()いから始()まりました。なぜ、同()じ失敗()をして、ある子()は諦()め、別()の子()は燃()えるのか。

この人()が押()した、前()提()のスイッチ

登()場()前()の常()識()

能()力()は、生()まれつき決()まっている(固()定()マインドセット)。

ドゥエック以()後()

能()力()は、努()力()と戦()略()で伸()ばせる(成()長()マインドセット)。

子()どもたちに、むずかしいパズルを出()す。すると、反応()がまっぷたつに分()かれた。一方()は「自()分()は頭()が悪()いんだ」と落()ち込()んで、すぐ投()げ出()す。もう一方()は、目()を輝()かせて「お、面()白()くなってきた」と食()いつく。この差()は、生()まれ持()った頭()の良()さではなかった。「能()力()とは何()か」についての、本()人()の信()じ方()の差()だったんです。

「能()力()は生()まれつきで、変()わらない」と信()じている人()( 固()定()マインドセット こていまいんどせっと(fixed mindset) 能()力()は生()まれつきで変()えられない、という信()念()。失敗()は無()能()の証()明()に見()える。学()術()名()は実体()理()論()(entity theory)。 )にとって、失敗()は怖()い。だって、失敗()=「自()分()には才()能()がない」の証()明()になってしまうから。だから、むずかしいことを避()け、失敗()を隠()す。一方()、「能()力()は伸()ばせる」と信()じている人()( 成()長()マインドセット せいちょうまいんどせっと(growth mindset) 能()力()は努()力()・戦()略()・学()習()で伸()ばせる、という信()念()。失敗()は学()びの機()会()に見()える。学()術()名()は増()分()理()論()(incremental theory)。 )にとって、失敗()はただの通()過()点()。「まだ、できていないだけ」。だから挑()戦()できる。

「失敗()」の意()味()が、書()き換()わる

ここがドゥエックの核()心()です。同()じ「失敗()」という出来事()が、信()念()しだいで、まったく違()う意()味()になる。

固()定()マインドセットでは、失敗()は「無()能()の判()決()」。成()長()マインドセットでは、失敗()は「 まだ まだ(the power of yet) 「できない」でなく「まだできていない」と捉()え直()す言()い回()し。現()実()を直()視()しつつ、成()長()の道()筋()を残()す。 有()効()な手()を見()つけていない、という情()報()」。気()づきましたか。これ、のちに登()場()するマルクス・アウレリウス(ストア派())の考()え(「あなたを苦()しめるのは出来事()でなく、それへの判()断()だ」)と、少()し似()ています。ドゥエックは、それを子()どもの学()びの現()場()で、実験()で確()かめた人()、とも言()えます。

でも——「努()力()をほめればいい」ではない

ここ、超()重()要()です。世()間()では「成()長()マインドセット=とにかく努()力()をほめること」だと思()われている。でも、ドゥエック本()人()が、それを”偽()物()”だと、はっきり否()定()しています。

彼()女()はそれを 偽()の成()長()マインドセット にせのせいちょうまいんどせっと(false growth mindset) 中()身()を理()解()せず「とにかく努()力()をほめる」だけの薄()い実践()。ドゥエック本()人()が、これは偽()物()だと警()告()した。 と呼()びました。結果()の出()ていない、方()向()違()いの努()力()を、ただ「頑()張()ったね」とほめること。それは、子()どもを慰()めているだけで、本()当()は害()になる、と。彼()女()はこう言()っています。「“よく頑()張()った”が、学()べていない子()への”慰()めの賞()品()”になってしまった」。本()当()に必()要()なのは、努()力()をほめることではなく、うまくいかないとき、やり方()(戦()略())を変()えること、そして人()に助()けを求()めること。成()長()マインドセットは、根性()論()ではないんです。

正()直()に言()います——「絶()大()な効()果()」ではない

そしてもう一()つ、正()直()に打()ち明()けておきます。「成()長()マインドセットを教()えれば成()績()が上()がる」という話()、実()は、思()ったほど効()果()は大()きくありません。

これは大()事()な話()なので、6章()でちゃんと数()字()とともに扱()います。ここで言()っておきたいのは、この考()え方()は、有()益()です。でも「万()能()薬()」ではない。効()果()を誇()張()する声()にも、“全()部()インチキだ”と切()り捨()てる声()にも、乗()らない。 そういう冷()静()な距()離()で、この人()を見()ていきます。それが、科()学()を扱()うということです。

5. キーワード

4章()の言葉()は、カードでいつでも引()けます。あと1つ、よく誇()張()される言葉()を正()確()に。

  • 脳()の可()塑()性() のうのかそせい(neuroplasticity) 脳()が学()習()や経()験()で物()理()的()に変()化()する性()質()。「脳()は筋()肉()のよう、鍛()えれば伸()びる」という比()喩()の裏()づけ。 (のうのかそせい):脳()は、学()習()や経()験()によって、物()理()的()に変()化()する。これは本()当()です。「脳()は筋()肉()のようなもので、鍛()えれば伸()びる」という比()喩()の、科()学()的()な裏()づけになっています。ただし注()意()。「強()く信()じるだけで脳()が変()わる」というのは、俗()流()版()の誇()張()です。元()の研()究()が示()しているのは、もっと控()えめな「注()意()の向()け方()の差()」くらいのこと。ここでも、話()を盛()らないでおきます。

(※ 固()定()/成()長()マインドセット・まだ・偽()の成()長()マインドセット・効()果()量()は、本()文()中()のカードで、いつでも引()けます。)

6. 批()判()・限()界()

ドゥエックは存()命()の科()学()者()で、その理()論()はいまも激()しく検()証()されています。思()想()でなく科()学()だからこそ、批()判()は3層()で、数()字()とともに正()直()に見()ます。

(a) 再()現()性()の危()機() — 「本()当()に効()果()があるのか」論()争()

いちばん大()きな論()争()は、これです。「成()長()マインドセットを教()えると、本()当()に成()績()が上()がるのか」。近()年()、同()じ研()究()データを使()いながら、正()反()対()の結()論()を出()したメタ分()析()(たくさんの論()文()をまとめて分()析()する手()法())が、ぶつかり合()っています。

現()在()の、ゆるやかな決着()点()はこうです。「効()果()は、まったくの嘘()ではない。でも小()さく、万()能()薬()ではない。特()定()の層()・特()定()の環()境()でだけ、限()定()的()に効()く」。この論()争()は、心()理()学()全()体()を揺()るがした「再()現()性()の危()機()」(有()名()な研()究()結果()が、追()試()すると再()現()できない問()題())の、象()徴()的()な一()例()でもあります。

(数()字()を出()したのは、脅()すためではありません。「効()果()はある」とも「全()部()インチキだ」とも言()い切()らず、どのくらい効()くのかを、正()直()な大()きさで知()ってもらうためです。)

(b) 俗()流()化() — 自()己()責()任()論()への横()すべり

理()論()が広()まる中()で、弊()害()も生()まれました。学校()や企()業()で、「成()長()マインドセットを持()て」が、薄()っぺらいスローガンになる。ポスターを貼()る、努()力()をほめるだけ。教()育()評()論()家()アルフィー・コーンは、鋭()く批()判()しています。「いかなるマインドセットも、構()造()的()な仕()組()みの毒()性()を溶()かす魔()法()の万()能()薬()ではない」。カリキュラムの欠陥()、貧()困()、過()度()な競()争()。そういう環()境()の問()題()を放()置()したまま、生()徒()が失敗()すると「お前()のマインドセットが固()定()だからだ」と、個()人()の心()のせいにしてしまう。これは、スマイルズのところで見()た自()己()責()任()論()と、同()じ横()すべりです。(公()平()のために言()えば、コーン自()身()も「ドゥエックの基()本()の主()張()は、良()質()なデータに支()えられている」と認()めています。全()否()定()ではありません。)

(c) 理()論()としての批()判()

さらに根本()的()な批()判()も。ひとつは成()功()者()バイアス。『マインドセット』の本()の中()の事()例()が、「成()功()者()には成()長()マインドセットがあった、失敗()者()には固()定()マインドセットがあった」と後()付()けで見()いだされている、という指()摘()です。これは、スマイルズの生()存()者()バイアスと、まったく同()じ形()です。もうひとつは反()証()不()可()能()性()。効()果()が出()なかったとき、「それは”偽()の成()長()マインドセット”だったからだ」と説()明()できてしまう。すると、どんな反()証()もかわせる「閉()じた円()環()」になり、科()学()として検()証()できなくなるのではないか、という批()判()です。「偽()の成()長()マインドセット」という概()念()は、誠()実()な精()緻()化()なのか、それとも反()証()逃()れなのか。ここは、意()見()が割()れています。

7. つながりと対()比()

ドゥエックは、誰()の系()譜()にいて、誰()と違()うのか。

まっすぐつながるのが、スマイルズ。 「努()力()すれば伸()びる/報()われる」という一点()で、ドゥエックはスマイルズの子()孫()です。現()代()の、科()学()版()『自()助()論()』と言()ってもいい。でも、決定()的()に違()うところがあります。スマイルズが「とにかく努()力()せよ」という純()粋()な自()助()だったのに対()し、ドゥエックは「努()力()だけじゃ足()りない。やり方()(戦()略())を変()えること、人()の助()けを借()りること、そして環()境()(システム)の要()因()も大()事()だ」と、何()度()も留()保()をつけている。つまり、スマイルズが陥()った「全()部()本()人()の努()力()しだい」という単()純()化()を、ドゥエックは”偽()の成()長()マインドセット”という概()念()を作()ってまで、避()けようとしているんです。

同()じ束()の次()のアドラー とも、「人()は変()われる・自()分()で選()べる」で通()じます。続()けて読()むと、自()己()啓()発()の系()譜()が見()えてきます。

対()比()すると面()白()いのが、マルクス・アウレリウス(ストア派())。 「失敗()という出来事()の解()釈()を変()える」点()は、そっくりです。でも、向()かう先()が逆()。ストアは、解()釈()を変()えて結果()への執()着()を手放()し、心()の平()静()へ向()かう。ドゥエックは、解()釈()を変()えて成()績()向()上()という外()的()な成()果()を得()ようとする。この「結果()を取()りにいく」姿()勢()が、やっぱりスマイルズ寄()りなんです。 → このサイトでは、スマイルズ・アドラー・マルクス・アウレリウス につながります。

8. いまの自()分()に、どう効()くか

「成()長()マインドセット」の文字()は、いまや学校()の掲()示()板()にも、会()社()の研()修()資()料()にも躍()っています。まず、効()き目()の面()から。「能()力()は固()定()じゃない、脳()は変()わる」という、科()学()の裏()づけつきのメッセージは、遺()伝()や才()能()で決()まると思()い込()まされていた多()くの人()を、勇()気()づけました。点()数()の競()争()でなく、学()びのプロセスそのものを大()事()にする。健()全()な視()点()です。

でも、副()作()用()もある。教()育()産()業()や企()業()研()修()で、これが耳()ざわりのいいバズワードになり、中()身()が抜()かれた。ポスターを貼()るだけ、努()力()をほめるだけの、薄()い実践()(=偽()の成()長()マインドセット)が量()産()された。できない原()因()を「マインドセット不()足()」という個()人()の心()の問()題()にすり替()える、自()己()責()任()論()の道()具()にもなった。

ここで、この束()の符()合()に気()づいてほしいんです。スマイルズの有()名()な言葉()は、本()人()の創()作()ではありませんでした。そしてドゥエックは、本()人()が「努()力()をほめるだけ=偽()物()だ」と、はっきり警()告()したのに、世()間()はその偽()物()を、好()んで量()産()し続()けた。

なぜでしょう。答()えは、身()も蓋()もない。本()物()は、コストが高()いからです。本()当()の成()長()マインドセットを育()てるには、一人()ひとりに合()った戦()略()を一緒()に考()え、丁()寧()なフィードバックを与()え、挑()戦()できる環()境()を整()えなければならない。手()間()も技()術()も要()る。対()して、「努()力()をほめるだけ」「できないのはマインドセット不()足()だと自()己()責()任()を問()うだけ」なら、システムは何()も痛()まず、タダで導()入()できる。だから、安()いほうが広()まった。

成()長()マインドセットは、「努()力()や能()力()の見()方()を最()適()化()する(=枝()葉()の技()術())」としては、間()違()いなく有()益()です。でも、このサイトが言()う「世()界()の捉()え方()そのもの(=根()っこ)」を変()える哲()学()とは、層()が違()う。しかも、成()果()を出()すための最()適()化()ツールとして消()費()されやすく、環()境()の不()平等()を個()人()の心()の問()題()にすり替()えてしまう脆()さを、構()造()的()に抱()えている。枝()葉()として、有()益()。でも、根()ではない。 それが、この人()の、正()直()な立()ち位()置()です。

9. もっと知()る

ドゥエックは、原()典()が一冊()で足()ります。ただし、版()に注()意()。

読()むなら、2016年()の版()を 『マインドセット「やればできる!」の研()究()』(今()西()康子()訳()、草()思()社())。日本語()版()は、2016年()の版()(改()題()・完()全()版())が最()新()です。ドゥエック本()人()は後()年()、教()育()現()場()での誤()用()への反()省()から、「偽()の成()長()マインドセット」への警()告()を重()ねています。そこを意()識()して読()むと、理()論()がどう深()まってきたかが見()えてきます。具()体()例()が豊()富()で、心()理()学()の知()識()がなくても読()める入()門()書()です。

ひとつ、読()むときのコツ。この本()を読()んで「よし、何()でも努()力()で伸()びるんだ!」と思()ったら、それは半()分()です。ドゥエックが本()当()に言()いたいのは「うまくいかないときは、やり方()を変()え、人()に助()けを求()めよ」のほう。そこを読()み落()とさないでください。

10. まだ決着()していないこと(両()論()ボックス)


このサイトは、確()定()した事()実()と、解()釈()や検()証()が割()れる論()点()を分()けて記()述()しています。崇()拝()も断()罪()もせず、出典()に当()たれる形()を心()がけました。ドゥエックについては特()に、実証()された部()分()と、まだ論()争()中()の部()分()を、そして本()人()の主()張()と世()間()の俗()流()版()を、混()ぜないよう努()めています。

もっと知()る — ブックガイド

入()門()(まずここから)

  • (本()人()論()文())Mueller & Dweck 1998 / Yeager & Dweck 2020 称()賛()実験()の原()典()・異()質()性()の反()論()。学()術()的()に確()認()したい人()向()け。

原()典()(挑()むなら)

  • マインドセット「やればできる!」の研()究()(今()西()康子()訳()・草()思()社()・2016年版()) 唯()一()の基()本()書()。2016年()の版()(改()題()・完()全()版())が最()新()。本()人()は後()年()「false growth mindset」への警()告()を重()ねている。初()心()者()向()け。