1. 一言( ひとこと ) で
能( のう ) 力( りょく ) は、生( う ) まれつきの固( こ ) 定( てい ) 量( りょう ) じゃない。伸( の ) ばせると信( しん ) じるかどうかで、変( か ) わる。
キャロル・ドゥエック(1946–)は、これを実験( じっけん ) で示( しめ ) したアメリカの心( しん ) 理( り ) 学( がく ) 者( しゃ ) です。「成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット」という言葉( ことば ) の生( う ) みの親( おや ) 、と言( い ) えば、聞( き ) いたことがあるかもしれません。
先( さき ) に、読( よ ) むときの構( かま ) えを2つ。ひとつ、ドゥエックは存( ぞん ) 命( めい ) の現( げん ) 役( えき ) 科( か ) 学( がく ) 者( しゃ ) で、これは哲( てつ ) 学( がく ) ではなく 実証( じっしょう ) 研( けん ) 究( きゅう ) です。だから「その効( こう ) 果( か ) は、本( ほん ) 当( とう ) にあるのか?」という検( けん ) 証( しょう ) の話( はなし ) が、どうしてもついて回( まわ ) る。そこも、後( こう ) 半( はん ) で正( しょう ) 直( じき ) に扱( あつか ) います(これが、思( し ) 想( そう ) と科( か ) 学( がく ) の違( ちが ) うところです)。ふたつ、「成( せい ) 長( ちょう ) マインドセットを持( も ) とう!」という薄( うす ) いスローガンを見( み ) たことがあるかもしれませんが、 あれは、ドゥエック本( ほん ) 人( にん ) が”偽( にせ ) 物( もの ) ”だと警( けい ) 告( こく ) しているもの です。崇( あが ) めも、こき下( お ) ろしもしません。
2. いそがしい人( ひと ) へ
3つだけ、先( さき ) に。
核( かく ) 心( しん ) :能( のう ) 力( りょく ) は生( う ) まれつきの固( こ ) 定( てい ) 量( りょう ) ではなく、努( ど ) 力( りょく ) ・戦( せん ) 略( りゃく ) ・学( がく ) 習( しゅう ) で伸( の ) ばせる。そう信( しん ) じるか(成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット)、固( こ ) 定( てい ) だと信( しん ) じるか(固( こ ) 定( てい ) マインドセット)で、失敗( しっぱい ) への反応( はんのう ) が変( か ) わる。
なぜ重( じゅう ) 要( よう ) :「失敗( しっぱい ) =無( む ) 能( のう ) の証( しょう ) 明( めい ) 」を「失敗( しっぱい ) =学( まな ) びの途( と ) 中( ちゅう ) 」へ、失敗( しっぱい ) の意( い ) 味( み ) を書( か ) き換( か ) えた。スマイルズの「努( ど ) 力( りょく ) は報( むく ) われる」の、現( げん ) 代( だい ) の科( か ) 学( がく ) 版( ばん ) です。
よくある誤( ご ) 解( かい ) :「成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット=とにかく努( ど ) 力( りょく ) をほめる」ではない(本( ほん ) 人( にん ) が”偽( にせ ) 物( もの ) ”と呼( よ ) ぶ)。「ポジティブ思( し ) 考( こう ) 」でもない。そして、「絶( ぜつ ) 大( だい ) な効( こう ) 果( か ) がある」わけでもありません(効( こう ) 果( か ) は小( ちい ) さく、層( そう ) による。後( こう ) 半( はん ) で正( しょう ) 直( じき ) に)。
3. どんな人( ひと ) ?
ドゥエックの研( けん ) 究( きゅう ) の原( げん ) 点( てん ) には、彼( かの ) 女( じょ ) 自( じ ) 身( しん ) の子( こ ) ども時( じ ) 代( だい ) の経( けい ) 験( けん ) があります。通( かよ ) っていた小学校( しょうがっこう ) で、 IQテストの順( じゅん ) 番( ばん ) に、席( せき ) が決( き ) められた のです。頭( あたま ) がいいとされた子( こ ) は前( まえ ) の席( せき ) 、そうでない子( こ ) は後( うし ) ろの席( せき ) 。「能( のう ) 力( りょく ) は、生( う ) まれつき決( き ) まっていて、順( じゅん ) 位( い ) がつくもの」。そういう世( せ ) 界( かい ) 観( かん ) の中( なか ) で、彼( かの ) 女( じょ ) は育( そだ ) ちました。
大人( おとな ) になった彼( かの ) 女( じょ ) が問( と ) うたのは、こういうことでした。「有( ゆう ) 能( のう ) とされる子( こ ) が、たった一( いち ) 度( ど ) の失敗( しっぱい ) で諦( あきら ) めてしまう。逆( ぎゃく ) に、そうでもない子( こ ) が、失敗( しっぱい ) しても燃( も ) えて食( く ) らいつく。この差( さ ) は、いったい何( なん ) なのか」。心( しん ) 理( り ) 学( がく ) 者( しゃ ) として、彼( かの ) 女( じょ ) はこれを何( なん ) 十年( じゅうねん ) もかけて、実験( じっけん ) で調( しら ) べていきます。
ここで、大( だい ) 事( じ ) なことを押( お ) さえておきます。ドゥエックは、 数( すう ) 十年( じゅうねん ) にわたり査( さ ) 読( どく ) 研( けん ) 究( きゅう ) を積( つ ) み重( おも ) ねた、厳( げん ) 密( みつ ) な実証( じっしょう ) 研( けん ) 究( きゅう ) 者( しゃ ) です。同( どう ) 時( じ ) に、『マインドセット』という世( せ ) 界( かい ) 的( てき ) ベストセラーの著( ちょ ) 者( しゃ ) でもある。この 二( に ) 面( めん ) 性( せい ) (科( か ) 学( がく ) 者( しゃ ) であり、ベストセラー著( ちょ ) 者( しゃ ) でもある)が、この人( ひと ) を見( み ) るときの鍵( かぎ ) になります。彼( かの ) 女( じょ ) の主( しゅ ) 張( ちょう ) は、思( おも ) いつきの人( じん ) 生( せい ) 論( ろん ) ではなく、実験( じっけん ) データに基( もと ) づいている。でも、その主( しゅ ) 張( ちょう ) が世( よ ) に広( ひろ ) まる過( か ) 程( てい ) で、いろいろなことが起( お ) きた。それが、この章( しょう ) の物語( ものがたり ) です。
4. 中( ちゅう ) 心( しん ) となる考( かんが ) え
この章( しょう ) で、ドゥエックが見( み ) つけた「信( しん ) 念( ねん ) のちがい」
ドゥエックの発見( はっけん ) は、たった一( ひと ) つの問( と ) いから始( はじ ) まりました。 なぜ、同( おな ) じ失敗( しっぱい ) をして、ある子( こ ) は諦( あきら ) め、別( べつ ) の子( こ ) は燃( も ) えるのか。
この人( ひと ) が押( お ) した、前( ぜん ) 提( てい ) のスイッチ
登( とう ) 場( じょう ) 前( まえ ) の常( じょう ) 識( しき ) 能( のう ) 力( りょく ) は、生( う ) まれつき決( き ) まっている(固( こ ) 定( てい ) マインドセット)。
↻ 登( とう ) 場( じょう ) 前( まえ ) の常( じょう ) 識( しき ) に戻( もど ) す スイッチを切( き ) る → 書( か ) き換( か ) える ドゥエック以( い ) 後( ご ) 能( のう ) 力( りょく ) は、努( ど ) 力( りょく ) と戦( せん ) 略( りゃく ) で伸( の ) ばせる(成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット)。
子( こ ) どもたちに、むずかしいパズルを出( だ ) す。すると、反応( はんのう ) がまっぷたつに分( わ ) かれた。一方( いっぽう ) は「自( じ ) 分( ぶん ) は頭( あたま ) が悪( わる ) いんだ」と落( お ) ち込( こ ) んで、すぐ投( な ) げ出( だ ) す。もう一方( いっぽう ) は、目( め ) を輝( かがや ) かせて「お、面( おも ) 白( しろ ) くなってきた」と食( く ) いつく。この差( さ ) は、生( う ) まれ持( も ) った頭( あたま ) の良( よ ) さではなかった。「能( のう ) 力( りょく ) とは何( なに ) か」についての、本( ほん ) 人( にん ) の信( しん ) じ方( かた ) の差( さ ) だったんです。
「能( のう ) 力( りょく ) は生( う ) まれつきで、変( か ) わらない」と信( しん ) じている人( ひと ) ( 固( こ ) 定( てい ) マインドセット 固( こ ) 定( てい ) マインドセット こていまいんどせっと(fixed mindset) 能( のう ) 力( りょく ) は生( う ) まれつきで変( か ) えられない、という信( しん ) 念( ねん ) 。失敗( しっぱい ) は無( む ) 能( のう ) の証( しょう ) 明( めい ) に見( み ) える。学( がく ) 術( じゅつ ) 名( めい ) は実体( じったい ) 理( り ) 論( ろん ) (entity theory)。 )にとって、失敗( しっぱい ) は怖( こわ ) い。だって、失敗( しっぱい ) =「自( じ ) 分( ぶん ) には才( さい ) 能( のう ) がない」の証( しょう ) 明( めい ) になってしまうから。だから、むずかしいことを避( さ ) け、失敗( しっぱい ) を隠( かく ) す。一方( いっぽう ) 、「能( のう ) 力( りょく ) は伸( の ) ばせる」と信( しん ) じている人( ひと ) ( 成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット 成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット せいちょうまいんどせっと(growth mindset) 能( のう ) 力( りょく ) は努( ど ) 力( りょく ) ・戦( せん ) 略( りゃく ) ・学( がく ) 習( しゅう ) で伸( の ) ばせる、という信( しん ) 念( ねん ) 。失敗( しっぱい ) は学( まな ) びの機( き ) 会( かい ) に見( み ) える。学( がく ) 術( じゅつ ) 名( めい ) は増( ぞう ) 分( ぶん ) 理( り ) 論( ろん ) (incremental theory)。 )にとって、失敗( しっぱい ) はただの通( つう ) 過( か ) 点( てん ) 。「まだ、できていないだけ」。だから挑( ちょう ) 戦( せん ) できる。
「失敗( しっぱい ) 」の意( い ) 味( み ) が、書( か ) き換( か ) わる
ここがドゥエックの核( かく ) 心( しん ) です。 同( おな ) じ「失敗( しっぱい ) 」という出来事( できごと ) が、信( しん ) 念( ねん ) しだいで、まったく違( ちが ) う意( い ) 味( み ) になる。
固( こ ) 定( てい ) マインドセットでは、失敗( しっぱい ) は「無( む ) 能( のう ) の判( はん ) 決( けつ ) 」。成( せい ) 長( ちょう ) マインドセットでは、失敗( しっぱい ) は「 まだ まだ まだ(the power of yet) 「できない」でなく「まだできていない」と捉( とら ) え直( なお ) す言( い ) い回( まわ ) し。現( げん ) 実( じつ ) を直( ちょく ) 視( し ) しつつ、成( せい ) 長( ちょう ) の道( みち ) 筋( すじ ) を残( のこ ) す。 有( ゆう ) 効( こう ) な手( て ) を見( み ) つけていない、という情( じょう ) 報( ほう ) 」。気( き ) づきましたか。これ、のちに登( とう ) 場( じょう ) するマルクス・アウレリウス(ストア派( は ) )の考( かんが ) え(「あなたを苦( くる ) しめるのは出来事( できごと ) でなく、それへの判( はん ) 断( だん ) だ」)と、少( すこ ) し似( に ) ています。ドゥエックは、それを子( こ ) どもの学( まな ) びの現( げん ) 場( ば ) で、実験( じっけん ) で確( たし ) かめた人( ひと ) 、とも言( い ) えます。
でも——「努( ど ) 力( りょく ) をほめればいい」ではない
ここ、超( ちょう ) 重( じゅう ) 要( よう ) です。世( せ ) 間( けん ) では「成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット=とにかく努( ど ) 力( りょく ) をほめること」だと思( おも ) われている。 でも、ドゥエック本( ほん ) 人( にん ) が、それを”偽( にせ ) 物( もの ) ”だと、はっきり否( ひ ) 定( てい ) しています。
彼( かの ) 女( じょ ) はそれを 偽( にせ ) の成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット 偽( にせ ) の成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット にせのせいちょうまいんどせっと(false growth mindset) 中( なか ) 身( み ) を理( り ) 解( かい ) せず「とにかく努( ど ) 力( りょく ) をほめる」だけの薄( うす ) い実践( じっせん ) 。ドゥエック本( ほん ) 人( にん ) が、これは偽( にせ ) 物( もの ) だと警( けい ) 告( こく ) した。 と呼( よ ) びました。結果( けっか ) の出( で ) ていない、方( ほう ) 向( こう ) 違( ちが ) いの努( ど ) 力( りょく ) を、ただ「頑( がん ) 張( ば ) ったね」とほめること。それは、子( こ ) どもを慰( なぐさ ) めているだけで、本( ほん ) 当( とう ) は害( がい ) になる、と。彼( かの ) 女( じょ ) はこう言( い ) っています。「“よく頑( がん ) 張( ば ) った”が、学( まな ) べていない子( こ ) への”慰( なぐさ ) めの賞( しょう ) 品( ひん ) ”になってしまった」。本( ほん ) 当( とう ) に必( ひつ ) 要( よう ) なのは、努( ど ) 力( りょく ) をほめることではなく、 うまくいかないとき、やり方( かた ) (戦( せん ) 略( りゃく ) )を変( か ) える こと、そして人( ひと ) に助( たす ) けを求( もと ) めること。成( せい ) 長( ちょう ) マインドセットは、根性( こんじょう ) 論( ろん ) ではないんです。
正( しょう ) 直( じき ) に言( い ) います——「絶( ぜつ ) 大( だい ) な効( こう ) 果( か ) 」ではない
そしてもう一( ひと ) つ、正( しょう ) 直( じき ) に打( う ) ち明( あ ) けておきます。「成( せい ) 長( ちょう ) マインドセットを教( おし ) えれば成( せい ) 績( せき ) が上( あ ) がる」という話( はなし ) 、 実( じつ ) は、思( おも ) ったほど効( こう ) 果( か ) は大( おお ) きくありません。
これは大( だい ) 事( じ ) な話( はなし ) なので、6章( しょう ) でちゃんと数( すう ) 字( じ ) とともに扱( あつか ) います。ここで言( い ) っておきたいのは、この考( かんが ) え方( かた ) は、有( ゆう ) 益( えき ) です。でも「万( ばん ) 能( のう ) 薬( やく ) 」ではない。 効( こう ) 果( か ) を誇( こ ) 張( ちょう ) する声( こえ ) にも、“全( ぜん ) 部( ぶ ) インチキだ”と切( き ) り捨( す ) てる声( こえ ) にも、乗( の ) らない。 そういう冷( れい ) 静( せい ) な距( きょ ) 離( り ) で、この人( ひと ) を見( み ) ていきます。それが、科( か ) 学( がく ) を扱( あつか ) うということです。
5. キーワード
4章( しょう ) の言葉( ことば ) は、カードでいつでも引( ひ ) けます。あと1つ、よく誇( こ ) 張( ちょう ) される言葉( ことば ) を正( せい ) 確( かく ) に。
脳( のう ) の可( か ) 塑( そ ) 性( せい ) 脳( のう ) の可( か ) 塑( そ ) 性( せい ) のうのかそせい(neuroplasticity) 脳( のう ) が学( がく ) 習( しゅう ) や経( けい ) 験( けん ) で物( ぶつ ) 理( り ) 的( てき ) に変( へん ) 化( か ) する性( せい ) 質( しつ ) 。「脳( のう ) は筋( きん ) 肉( にく ) のよう、鍛( きた ) えれば伸( の ) びる」という比( ひ ) 喩( ゆ ) の裏( うら ) づけ。 (のうのかそせい):脳( のう ) は、学( がく ) 習( しゅう ) や経( けい ) 験( けん ) によって、物( ぶつ ) 理( り ) 的( てき ) に変( へん ) 化( か ) する。これは本( ほん ) 当( とう ) です。「脳( のう ) は筋( きん ) 肉( にく ) のようなもので、鍛( きた ) えれば伸( の ) びる」という比( ひ ) 喩( ゆ ) の、科( か ) 学( がく ) 的( てき ) な裏( うら ) づけになっています。ただし注( ちゅう ) 意( い ) 。「 強( つよ ) く信( しん ) じるだけで脳( のう ) が変( か ) わる」というのは、俗( ぞく ) 流( りゅう ) 版( ばん ) の誇( こ ) 張( ちょう ) です。元( もと ) の研( けん ) 究( きゅう ) が示( しめ ) しているのは、もっと控( ひか ) えめな「注( ちゅう ) 意( い ) の向( む ) け方( かた ) の差( さ ) 」くらいのこと。ここでも、話( はなし ) を盛( も ) らないでおきます。
(※ 固( こ ) 定( てい ) /成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット・まだ・偽( にせ ) の成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット・効( こう ) 果( か ) 量( りょう ) は、本( ほん ) 文( ぶん ) 中( ちゅう ) のカードで、いつでも引( ひ ) けます。)
6. 批( ひ ) 判( はん ) ・限( げん ) 界( かい )
ドゥエックは存( ぞん ) 命( めい ) の科( か ) 学( がく ) 者( しゃ ) で、その理( り ) 論( ろん ) はいまも激( はげ ) しく検( けん ) 証( しょう ) されています。思( し ) 想( そう ) でなく科( か ) 学( がく ) だからこそ、批( ひ ) 判( はん ) は3層( そう ) で、数( すう ) 字( じ ) とともに正( しょう ) 直( じき ) に見( み ) ます。
(a) 再( さい ) 現( げん ) 性( せい ) の危( き ) 機( き ) — 「本( ほん ) 当( とう ) に効( こう ) 果( か ) があるのか」論( ろん ) 争( そう )
いちばん大( おお ) きな論( ろん ) 争( そう ) は、これです。「成( せい ) 長( ちょう ) マインドセットを教( おし ) えると、本( ほん ) 当( とう ) に成( せい ) 績( せき ) が上( あ ) がるのか」。近( きん ) 年( ねん ) 、 同( おな ) じ研( けん ) 究( きゅう ) データを使( つか ) いながら、正( せい ) 反( はん ) 対( たい ) の結( けつ ) 論( ろん ) を出( だ ) したメタ分( ぶん ) 析( せき ) (たくさんの論( ろん ) 文( ぶん ) をまとめて分( ぶん ) 析( せき ) する手( しゅ ) 法( ほう ) )が、ぶつかり合( あ ) っています。
現( げん ) 在( ざい ) の、ゆるやかな決着( けっちゃく ) 点( てん ) はこうです。「効( こう ) 果( か ) は、まったくの嘘( うそ ) ではない。でも小( ちい ) さく、万( ばん ) 能( のう ) 薬( やく ) ではない。特( とく ) 定( てい ) の層( そう ) ・特( とく ) 定( てい ) の環( かん ) 境( きょう ) でだけ、限( げん ) 定( てい ) 的( てき ) に効( き ) く」 。この論( ろん ) 争( そう ) は、心( しん ) 理( り ) 学( がく ) 全( ぜん ) 体( たい ) を揺( ゆ ) るがした「再( さい ) 現( げん ) 性( せい ) の危( き ) 機( き ) 」(有( ゆう ) 名( めい ) な研( けん ) 究( きゅう ) 結果( けっか ) が、追( つい ) 試( し ) すると再( さい ) 現( げん ) できない問( もん ) 題( だい ) )の、象( しょう ) 徴( ちょう ) 的( てき ) な一( いち ) 例( れい ) でもあります。
(数( すう ) 字( じ ) を出( だ ) したのは、脅( おびや ) すためではありません。「効( こう ) 果( か ) はある」とも「全( ぜん ) 部( ぶ ) インチキだ」とも言( い ) い切( き ) らず、 どのくらい効( き ) くのかを、正( しょう ) 直( じき ) な大( おお ) きさで 知( し ) ってもらうためです。)
(b) 俗( ぞく ) 流( りゅう ) 化( か ) — 自( じ ) 己( こ ) 責( せき ) 任( にん ) 論( ろん ) への横( よこ ) すべり
理( り ) 論( ろん ) が広( ひろ ) まる中( なか ) で、弊( へい ) 害( がい ) も生( う ) まれました。学校( がっこう ) や企( き ) 業( ぎょう ) で、「成( せい ) 長( ちょう ) マインドセットを持( も ) て」が、薄( うす ) っぺらいスローガンになる。ポスターを貼( は ) る、努( ど ) 力( りょく ) をほめるだけ。教( きょう ) 育( いく ) 評( ひょう ) 論( ろん ) 家( か ) アルフィー・コーンは、鋭( するど ) く批( ひ ) 判( はん ) しています。「いかなるマインドセットも、構( こう ) 造( ぞう ) 的( てき ) な仕( し ) 組( く ) みの毒( どく ) 性( せい ) を溶( と ) かす魔( ま ) 法( ほう ) の万( ばん ) 能( のう ) 薬( やく ) ではない 」。カリキュラムの欠陥( けっかん ) 、貧( ひん ) 困( こん ) 、過( か ) 度( ど ) な競( きょう ) 争( そう ) 。そういう環( かん ) 境( きょう ) の問( もん ) 題( だい ) を放( ほう ) 置( ち ) したまま、生( せい ) 徒( と ) が失敗( しっぱい ) すると「お前( まえ ) のマインドセットが固( こ ) 定( てい ) だからだ」と、個( こ ) 人( じん ) の心( こころ ) のせいにしてしまう。これは、スマイルズのところで見( み ) た 自( じ ) 己( こ ) 責( せき ) 任( にん ) 論( ろん ) と、同( おな ) じ横( よこ ) すべりです。(公( こう ) 平( へい ) のために言( い ) えば、コーン自( じ ) 身( しん ) も「ドゥエックの基( き ) 本( ほん ) の主( しゅ ) 張( ちょう ) は、良( りょう ) 質( しつ ) なデータに支( ささ ) えられている」と認( みと ) めています。全( ぜん ) 否( ひ ) 定( てい ) ではありません。)
(c) 理( り ) 論( ろん ) としての批( ひ ) 判( はん )
さらに根本( こんぽん ) 的( てき ) な批( ひ ) 判( はん ) も。ひとつは 成( せい ) 功( こう ) 者( しゃ ) バイアス。『マインドセット』の本( ほん ) の中( なか ) の事( じ ) 例( れい ) が、「成( せい ) 功( こう ) 者( しゃ ) には成( せい ) 長( ちょう ) マインドセットがあった、失敗( しっぱい ) 者( しゃ ) には固( こ ) 定( てい ) マインドセットがあった」と後( あと ) 付( づ ) けで見( み ) いだされている、という指( し ) 摘( てき ) です。これは、スマイルズの生( せい ) 存( ぞん ) 者( しゃ ) バイアスと、まったく同( おな ) じ形( かたち ) です。もうひとつは 反( はん ) 証( しょう ) 不( ふ ) 可( か ) 能( のう ) 性( せい ) 。効( こう ) 果( か ) が出( だ ) なかったとき、「それは”偽( にせ ) の成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット”だったからだ」と説( せつ ) 明( めい ) できてしまう。すると、どんな反( はん ) 証( しょう ) もかわせる「閉( と ) じた円( えん ) 環( かん ) 」になり、科( か ) 学( がく ) として検( けん ) 証( しょう ) できなくなるのではないか、という批( ひ ) 判( はん ) です。「偽( にせ ) の成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット」という概( がい ) 念( ねん ) は、誠( せい ) 実( じつ ) な精( せい ) 緻( ち ) 化( か ) なのか、それとも反( はん ) 証( しょう ) 逃( のが ) れなのか。ここは、意( い ) 見( けん ) が割( わ ) れています。
7. つながりと対( たい ) 比( ひ )
ドゥエックは、誰( だれ ) の系( けい ) 譜( ふ ) にいて、誰( だれ ) と違( ちが ) うのか。
まっすぐつながるのが、スマイルズ 。 「努( ど ) 力( りょく ) すれば伸( の ) びる/報( むく ) われる」という一点( いってん ) で、ドゥエックはスマイルズの子( し ) 孫( そん ) です。 現( げん ) 代( だい ) の、科( か ) 学( がく ) 版( ばん ) 『自( じ ) 助( じょ ) 論( ろん ) 』と言( い ) ってもいい。でも、決定( けってい ) 的( てき ) に違( ちが ) うところがあります。スマイルズが「とにかく努( ど ) 力( りょく ) せよ」という純( じゅん ) 粋( すい ) な自( じ ) 助( じょ ) だったのに対( たい ) し、 ドゥエックは「努( ど ) 力( りょく ) だけじゃ足( た ) りない。やり方( かた ) (戦( せん ) 略( りゃく ) )を変( か ) えること、人( ひと ) の助( たす ) けを借( か ) りること、そして環( かん ) 境( きょう ) (システム)の要( よう ) 因( いん ) も大( だい ) 事( じ ) だ」と、何( なん ) 度( ど ) も留( りゅう ) 保( ほ ) をつけている 。つまり、スマイルズが陥( おちい ) った「全( ぜん ) 部( ぶ ) 本( ほん ) 人( にん ) の努( ど ) 力( りょく ) しだい」という単( たん ) 純( じゅん ) 化( か ) を、ドゥエックは”偽( にせ ) の成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット”という概( がい ) 念( ねん ) を作( つく ) ってまで、避( さ ) けようとしているんです。
同( おな ) じ束( たば ) の次( つぎ ) のアドラー とも、「人( ひと ) は変( か ) われる・自( じ ) 分( ぶん ) で選( えら ) べる」で通( つう ) じます。続( つづ ) けて読( よ ) むと、自( じ ) 己( こ ) 啓( けい ) 発( はつ ) の系( けい ) 譜( ふ ) が見( み ) えてきます。
対( たい ) 比( ひ ) すると面( おも ) 白( しろ ) いのが、マルクス・アウレリウス (ストア派( は ) )。 「失敗( しっぱい ) という出来事( できごと ) の解( かい ) 釈( しゃく ) を変( か ) える」点( てん ) は、そっくりです。でも、向( む ) かう先( さき ) が逆( ぎゃく ) 。ストアは、解( かい ) 釈( しゃく ) を変( か ) えて 結果( けっか ) への執( しゅう ) 着( ちゃく ) を手放( てばな ) し、心( こころ ) の平( へい ) 静( せい ) へ向( む ) かう。ドゥエックは、解( かい ) 釈( しゃく ) を変( か ) えて 成( せい ) 績( せき ) 向( こう ) 上( じょう ) という外( がい ) 的( てき ) な成( せい ) 果( か ) を得( え ) ようとする。この「結果( けっか ) を取( と ) りにいく」姿( し ) 勢( せい ) が、やっぱりスマイルズ寄( よ ) りなんです。
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8. いまの自( じ ) 分( ぶん ) に、どう効( き ) くか
「成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット」の文字( もじ ) は、いまや学校( がっこう ) の掲( けい ) 示( じ ) 板( ばん ) にも、会( かい ) 社( しゃ ) の研( けん ) 修( しゅう ) 資( し ) 料( りょう ) にも躍( おど ) っています。まず、 効( き ) き目( め ) の面( めん ) から。「能( のう ) 力( りょく ) は固( こ ) 定( てい ) じゃない、脳( のう ) は変( か ) わる」という、科( か ) 学( がく ) の裏( うら ) づけつきのメッセージは、遺( い ) 伝( でん ) や才( さい ) 能( のう ) で決( き ) まると思( おも ) い込( こ ) まされていた多( おお ) くの人( ひと ) を、勇( ゆう ) 気( き ) づけました。点( てん ) 数( すう ) の競( きょう ) 争( そう ) でなく、学( まな ) びのプロセスそのものを大( だい ) 事( じ ) にする。健( けん ) 全( ぜん ) な視( し ) 点( てん ) です。
でも、副( ふく ) 作( さ ) 用( よう ) もある。教( きょう ) 育( いく ) 産( さん ) 業( ぎょう ) や企( き ) 業( ぎょう ) 研( けん ) 修( しゅう ) で、これが耳( みみ ) ざわりのいい バズワード になり、中( なか ) 身( み ) が抜( ぬ ) かれた。ポスターを貼( は ) るだけ、努( ど ) 力( りょく ) をほめるだけの、薄( うす ) い実践( じっせん ) (=偽( にせ ) の成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット)が量( りょう ) 産( さん ) された。できない原( げん ) 因( いん ) を「マインドセット不( ふ ) 足( そく ) 」という個( こ ) 人( じん ) の心( こころ ) の問( もん ) 題( だい ) にすり替( か ) える、自( じ ) 己( こ ) 責( せき ) 任( にん ) 論( ろん ) の道( どう ) 具( ぐ ) にもなった。
ここで、この束( たば ) の 符( ふ ) 合( ごう ) に気( き ) づいてほしいんです。スマイルズの有( ゆう ) 名( めい ) な言葉( ことば ) は、本( ほん ) 人( にん ) の創( そう ) 作( さく ) ではありませんでした。そしてドゥエックは、 本( ほん ) 人( にん ) が「努( ど ) 力( りょく ) をほめるだけ=偽( にせ ) 物( もの ) だ」と、はっきり警( けい ) 告( こく ) したのに、世( せ ) 間( けん ) はその偽( にせ ) 物( もの ) を、好( す ) んで量( りょう ) 産( さん ) し続( つづ ) けた。
なぜでしょう。答( こた ) えは、身( み ) も蓋( ふた ) もない。 本( ほん ) 物( もの ) は、コストが高( たか ) いからです。本( ほん ) 当( とう ) の成( せい ) 長( ちょう ) マインドセットを育( そだ ) てるには、一人( ひとり ) ひとりに合( あ ) った戦( せん ) 略( りゃく ) を一緒( いっしょ ) に考( かんが ) え、丁( てい ) 寧( ねい ) なフィードバックを与( あた ) え、挑( ちょう ) 戦( せん ) できる環( かん ) 境( きょう ) を整( ととの ) えなければならない。手( て ) 間( ま ) も技( ぎ ) 術( じゅつ ) も要( い ) る。対( たい ) して、「努( ど ) 力( りょく ) をほめるだけ」「できないのはマインドセット不( ふ ) 足( そく ) だと自( じ ) 己( こ ) 責( せき ) 任( にん ) を問( と ) うだけ」なら、システムは何( なに ) も痛( いた ) まず、タダで導( どう ) 入( にゅう ) できる。だから、安( やす ) いほうが広( ひろ ) まった。
成( せい ) 長( ちょう ) マインドセットは、「努( ど ) 力( りょく ) や能( のう ) 力( りょく ) の見( み ) 方( かた ) を最( さい ) 適( てき ) 化( か ) する(=枝( えだ ) 葉( は ) の技( ぎ ) 術( じゅつ ) )」としては、間( ま ) 違( ちが ) いなく有( ゆう ) 益( えき ) です。でも、このサイトが言( い ) う「世( せ ) 界( かい ) の捉( とら ) え方( かた ) そのもの(=根( ね ) っこ)」を変( か ) える哲( てつ ) 学( がく ) とは、層( そう ) が違( ちが ) う。しかも、成( せい ) 果( か ) を出( だ ) すための最( さい ) 適( てき ) 化( か ) ツールとして消( しょう ) 費( ひ ) されやすく、環( かん ) 境( きょう ) の不( ふ ) 平等( びょうどう ) を個( こ ) 人( じん ) の心( こころ ) の問( もん ) 題( だい ) にすり替( か ) えてしまう脆( もろ ) さを、構( こう ) 造( ぞう ) 的( てき ) に抱( かか ) えている。 枝( えだ ) 葉( は ) として、有( ゆう ) 益( えき ) 。でも、根( ね ) ではない。 それが、この人( ひと ) の、正( しょう ) 直( じき ) な立( た ) ち位( い ) 置( ち ) です。
9. もっと知( し ) る
ドゥエックは、原( げん ) 典( てん ) が一冊( いっさつ ) で足( た ) ります。ただし、版( ばん ) に注( ちゅう ) 意( い ) 。
読( よ ) むなら、2016年( ねん ) の版( ばん ) を
『マインドセット「やればできる!」の研( けん ) 究( きゅう ) 』(今( いま ) 西( にし ) 康子( やすこ ) 訳( やく ) 、草( そう ) 思( し ) 社( しゃ ) )。日本語( にほんご ) 版( ばん ) は、 2016年( ねん ) の版( ばん ) (改( かい ) 題( だい ) ・完( かん ) 全( ぜん ) 版( ばん ) ) が最( さい ) 新( しん ) です。ドゥエック本( ほん ) 人( にん ) は後( こう ) 年( ねん ) 、教( きょう ) 育( いく ) 現( げん ) 場( ば ) での誤( ご ) 用( よう ) への反( はん ) 省( せい ) から、 「偽( にせ ) の成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット」への警( けい ) 告( こく ) を重( おも ) ねています 。そこを意( い ) 識( しき ) して読( よ ) むと、理( り ) 論( ろん ) がどう深( ふか ) まってきたかが見( み ) えてきます。具( ぐ ) 体( たい ) 例( れい ) が豊( ほう ) 富( ふ ) で、心( しん ) 理( り ) 学( がく ) の知( ち ) 識( しき ) がなくても読( よ ) める入( にゅう ) 門( もん ) 書( しょ ) です。
ひとつ、読( よ ) むときのコツ。この本( ほん ) を読( よ ) んで「よし、何( なに ) でも努( ど ) 力( りょく ) で伸( の ) びるんだ!」と思( おも ) ったら、それは半( はん ) 分( ぶん ) です。ドゥエックが本( ほん ) 当( とう ) に言( い ) いたいのは「 うまくいかないときは、やり方( かた ) を変( か ) え、人( ひと ) に助( たす ) けを求( もと ) めよ 」のほう。そこを読( よ ) み落( お ) とさないでください。
10. まだ決着( けっちゃく ) していないこと(両( りょう ) 論( ろん ) ボックス)
まだ決着( けっちゃく ) していない論( ろん ) 点( てん )
研( けん ) 究( きゅう ) 者( しゃ ) の見( けん ) 解( かい ) が割( わ ) れている論( ろん ) 点( てん ) : ドゥエックの理( り ) 論( ろん ) は、いま、議( ぎ ) 論( ろん ) の渦( か ) 中( ちゅう ) にあります。両( りょう ) 論( ろん ) を、正( しょう ) 直( じき ) に置( お ) いておきます。
介( かい ) 入( にゅう ) は効( こう ) 果( か ) があるか:質( しつ ) の高( たか ) い研( けん ) 究( きゅう ) では、効( こう ) 果( か ) はほぼゼロ(マクナマラら)/小( ちい ) さいが、低( てい ) 学( がく ) 力( りょく ) 層( そう ) や支( し ) 援( えん ) 的( てき ) な環( かん ) 境( きょう ) に絞( しぼ ) れば意( い ) 味( み ) がある(イェガー、ドゥエックら)。未( み ) 決着( けっちゃく ) です。
「偽( にせ ) の成( せい ) 長( ちょう ) マインドセット」という概( がい ) 念( ねん ) :誤( ご ) 用( よう ) を正( ただ ) すための、本( ほん ) 人( にん ) の誠( せい ) 実( じつ ) な精( せい ) 緻( ち ) 化( か ) だ/どんな反( はん ) 証( しょう ) も「それは偽( にせ ) 物( もの ) だった」でかわせてしまう、反( はん ) 証( しょう ) 逃( のが ) れだ。
ドゥエックは、スマイルズ的( てき ) な自( じ ) 己( こ ) 責( せき ) 任( にん ) 論( ろん ) の現( げん ) 代( だい ) 版( ばん ) か :システム要( よう ) 因( いん ) への留( りゅう ) 保( ほ ) を置( お ) いて、それを回( かい ) 避( ひ ) している/結局( けっきょく ) は、構( こう ) 造( ぞう ) の問( もん ) 題( だい ) を個( こ ) 人( じん ) の信( しん ) 念( ねん ) に還( かん ) 元( げん ) している。
「固( こ ) 定( てい ) /成( せい ) 長( ちょう ) 」の二分( にぶん ) 法( ほう ) は、実( じつ ) 在( ざい ) するタイプか :教( きょう ) 育( いく ) に役( やく ) 立( だ ) つ便( べん ) 利( り ) な類( るい ) 型( けい ) だ/現( げん ) 実( じつ ) には誰( だれ ) もが両( りょう ) 方( ほう ) の混( こん ) 合( ごう ) で、二分( にぶん ) は単( たん ) 純( じゅん ) 化( か ) しすぎ(本( ほん ) 人( にん ) も「誰( だれ ) もが両( りょう ) 方( ほう ) の混( こん ) 合( ごう ) だ」と認( みと ) めている)。
教( きょう ) 育( いく ) ・企( き ) 業( ぎょう ) での実装( じっそう ) :有( ゆう ) 益( えき ) なツールだ/実態( じったい ) の伴( ともな ) わない、安( あん ) 価( か ) な”免( めん ) 罪( ざい ) 符( ふ ) ”だ。
どれも急( いそ ) いで答( こた ) えを出( だ ) さず、両( りょう ) 方( ほう ) を抱( かか ) えて考( かんが ) える。とくにこの人( ひと ) は科( か ) 学( がく ) 者( しゃ ) なので、「効( こう ) 果( か ) はどのくらいか」を、数( すう ) 字( じ ) の実際( じっさい ) の大( おお ) きさで見( み ) るのが、いちばん誠( せい ) 実( じつ ) な読( よ ) み方( かた ) です。
このサイトは、確( かく ) 定( てい ) した事( じ ) 実( じつ ) と、解( かい ) 釈( しゃく ) や検( けん ) 証( しょう ) が割( わ ) れる論( ろん ) 点( てん ) を分( わ ) けて記( き ) 述( じゅつ ) しています。崇( すう ) 拝( はい ) も断( だん ) 罪( ざい ) もせず、出典( しゅってん ) に当( あ ) たれる形( かたち ) を心( こころ ) がけました。ドゥエックについては特( とく ) に、実証( じっしょう ) された部( ぶ ) 分( ぶん ) と、まだ論( ろん ) 争( そう ) 中( ちゅう ) の部( ぶ ) 分( ぶん ) を、そして本( ほん ) 人( にん ) の主( しゅ ) 張( ちょう ) と世( せ ) 間( けん ) の俗( ぞく ) 流( りゅう ) 版( ばん ) を、混( ま ) ぜないよう努( つと ) めています。