別室() 特()別()展()示()

チェスターフィールド & カーネギー

  • チェスターフィールド卿() Lord Chesterfield1694–1773
  • デール・カーネギー Dale Carnegie1888–1955

「どう生()きるか」ではなく、「どう見()られ、どう好()かれるか」。その技()術()の、二()つの時()代()の達()人()。

読()了()めやす 約()11分()

1. この展()示()について

このページは、少()し変()わった部屋()です。「特()別()展()示()」。メインの思()想()家()たちとは、別室()になっています。

理()由()は、ここに展()示()する2人()が、哲()学()者()ではないから。18世紀()イギリスの貴()族()チェスターフィールド卿()と、20世紀()アメリカのデール・カーネギー。この2人()は、「どう生()きるか」という根()っこの問()いを立()てた人()ではありません。そのかわり、別()のことを極()めました。「人()にどう見()られ、どう好()かれ、どう動()いてもらうか」。対()人()の技()術()です。

このサイトの言葉()で言()えば、彼()らは「枝()葉()」の人()です。ただし、ただの枝()葉()ではない。歴()史()上()、最()も洗()練()された枝()葉()。だから、見()下()しません(この技()術()は、本()当()に役()立()ちます)。でも、礼()賛()もしません(この技()術()は、根()の問()いには答()えません)。その距()離()で、二()つの時()代()の達()人()を、展()示()します。

2. いそがしい人()へ

3つだけ、先()に。

  • 核()心():時()代()も国()も身()分()も違()う2人()が、同()じことを極()めた。「内()面()がどうであるかより、人()にどう見()られるかが、世()渡()りを決()める」。その技()術()の、18世紀()の先()駆()と、20世紀()の完()成()形()。
  • なぜ重()要():SNSでプロフィールを磨()き、「いいね」を数()える現()代()の私()たちは、全()員()この2人()が開()いたゲームのプレイヤー。印()象()管()理()の源()流()が、ここにある。
  • よくある誤()解():カーネギーの『人()を動()かす』は「お世()辞()で人()を操()る本()」ではない(本()人()が、お世()辞()をはっきり否()定()しています)。逆()にチェスターフィールドは、当()時()から「不()道()徳()だ」と大()炎()上()した(どちらも、本()文()で)。

3. 展()示()その一() — チェスターフィールド卿():「好()かれる技()術()」の18世紀()

1694年生()まれ。イギリスの政()治()家()・外()交()官()で、当()代()一流()の社()交()人()でした。

彼()を歴()史()に残()したのは、政()治()の業()績()ではなく、私()信()です。『わが息子()への手紙()』、息子()のフィリップに宛()てて、約()30年間()、400通()あまりの手紙()を書()き続()けた。中()身()は、「社()交()界()で、どう振()る舞()い、どう好()かれ、どう出世()するか」。マナー、会()話()術()、服()装()、聞()き方()。上()流()社()会()を生()き抜()くための、実()技()のすべてです。

彼()の教()えの核()心()は、この一句()に出()ています。「人()を喜()ばせたいという欲求()は、それを成()し遂()げる技()術()の、少()なくとも半()分()である」。つまり、好()かれることは、才()能()ではなく、学()べる技()術()だ。相()手()をよく観()察()し、相()手()に合()わせ、心地()よくさせる。18世紀()の貴()族()社()会()は、「見()られ方()」が出世()と没()落()を分()ける世()界()でしたから、これは切()実()な、実戦()の知()恵()でした。

出版()の経()緯()に、皮()肉()な後()日()談()があります。この手紙()は、あくまで父()から息子()への一()対()一()の私()信()で、本()人()は出版()するつもりがありませんでした。ところが息子()は父()より先()に世()を去()り、残()された息子()の妻()が、経済()的()な事()情()から手紙()の束()を出版()社()に売()却()します(1500ギニー、当()時()としては大()金()です)。1774年()、チェスターフィールドの死()の翌()年()に出版()されるや、大()ベストセラーに。密室()の処()世()訓()が、皮()肉()にも、英()国()紳()士()のマナー教()本()の古()典()になったのです。

4. 展()示()その二() — デール・カーネギー:「人()を動()かす」の20世紀()

時()代()は飛()んで、1888年()、アメリカ・ミズーリの貧()しい農()家()に生()まれたのが、デール・カーネギーです。貴()族()とは正()反()対()の出()自()。セールスマンなどを転々()とした後()、YMCAの話()し方()教()室()の講()師()として身()を立()てました。

そして1936年()、大()恐()慌()のただ中()で、彼()は一冊()の本()を出()します。『人()を動()かす』。学()歴()でも、資()本()でも、技()術()でもなく、「人間()関()係()こそが、成()功()を決()める」と説()いたこの本()は、全()世()界()で3000万()部()を超()えました。米()議()会()図()書()館()の「アメリカを形()作()った本()」(2012年())にも選()ばれています。

教()えは、驚()くほどシンプルです。批()判()も非()難()もしない。率直()で、誠()実()な評()価()を与()える。議()論()を避()ける。笑顔()。名()前()を覚()える(名()前()は、当()人()にとって最()も心地()よい音()だから)。聞()き手()にまわる。そして、すべての中()心()にあるのが、「相()手()に 重()要()感() じゅうようかん(feeling of importance) 「自()分()は大()切()な存()在()だ」と感()じたい欲求()。カーネギー対()人()術()の核()=相()手()にこれを、誠()実()に与()えること。 を持()たせる。それも、誠()実()に」。人()は誰()でも、「自()分()は大()切()な存()在()だ」と感()じたい。その欲求()を、心()から満()たしてあげること。

ここで、大()事()な誤()解()をひとつ解()いておきます。「なんだ、お世()辞()の本()か」。違()います。カーネギー自()身()が、お世()辞()(flattery)と誠()実()な評()価()(sincere appreciation)を、明()確()に区()別()しています。口()先()の追()従()は相()手()に見()抜()かれる、本()物()の関()心()を持()て、と原()文()は繰()り返()す。彼()に言()わせれば、これは「小()手()先()のトリック集()ではなく、新()しい生()き方()」でした。受()講()者()には、若()き日()のウォーレン・バフェットもいます。彼()は大()学()の学()位()より、このコースの修()了()証()書()を誇()りにして、オフィスに飾()っているそうです。

ひとつ、書()き添()えておくべきことがあります。カーネギーが学()んだ相()手()は、フロイト、ジェイムズ、そしてアドラーといった同()時()代()の心()理()学()でした。チェスターフィールドを読()んで受()け継()いだ、という直()接()のつながりは、確()認()されていません。 2人()は師()弟()ではなく、同()じ主()題()を、別々()の時()代()に極()めた、いわば「同()じ星()座()の、離()れた星()」です。

5. 二人()をつなぐもの

「人()格()」から「印()象()」へ——静()かに起()きた、大()きな移()行()

時()代()も、国()も、身()分()も違()う2人()。直()接()のつながりは、実()は確()認()されていません。それでも並()べて展()示()するのは、2人()が同()じ一()つの移()行()を、くっきり見()せてくれるからです。

この人()が押()した、前()提()のスイッチ

登()場()前()の常()識()

人()格()を磨()けば、おのずと人()に認()められる。

チェスターフィールド & カーネギー以()後()

好()かれる技()術()を学()べば、世()渡()りはうまくいく。

ひとつ注()意()を。このトグル、これまでの章()とは意()味()が違()います。めくれば良()くなる「乗()り越()え」ではなく、実際()に社()会()で起()きた移()行()の、記()録()です。良()くなったかどうかは、この展()示()の最()後()まで、保()留()してください。

スマイルズの章()を思()い出()してほしいんです。彼()が上()に置()いたのは character きゃらくたー(人()格()・品()性()) 誠()実()・義()務()・名()誉()など、内()面()の徳()。19世紀()までの自()己()啓()発()(スマイルズら)の中()心()にあった言葉()。 。誠()実()、義()務()、名()誉()といった、内()面()の人()格()でした。「立派()な人間()であれば、結果()はついてくる」。19世紀()の自()己()啓()発()は、この言葉()づかいで書()かれていた。

ところが20世紀()に入()ると、成()功()の語()彙()が入()れ替()わっていきます。魅()力()的()、印()象()的()、人()を惹()きつける。 personality ぱーそなりてぃ(印()象()・魅()力()) 魅()力()的()・印()象()的()・人()を惹()きつける——他()人()からどう見()えるか。20世紀()に自()己()啓()発()の中()心()へ移()った言葉()。 。立派()な人間()であるかどうかより、魅()力()的()に”見()える”かどうか。 文()化()史()家()サスマンは、この移()行()を「characterの文()化()から、personalityの文()化()へ」と名()づけました(有()名()な見()立()てですが、実証()が十分()かには異()論()もある、仮()説()です)。都()市()化()で、人々()は毎()日()、自()分()を知()らない他()人()の前()に立()つようになった。じっくり人()格()を知()ってもらう時()間()はない。第()一()印象()が、すべてを決()める世()界()が来()たんです。

チェスターフィールドは、この移()行()の18世紀()の先()駆()でした。貴()族()の社()交()界()という、「見()られ方()がすべて」の世()界()で、好()かれる技()術()を私()信()で説()き続()けた。そしてカーネギーは、20世紀()の完()成()形()。大()恐()慌()のアメリカで、「知()識()や実()力()より、人()にどう好()かれるかが収()入()を決()める」と説()いて、世()界()一()の実()用()書()を書()いた。

面()白()いのは、その後()日()談()です。カーネギーから半()世()紀()後()、コヴィーの『7つの習()慣()』は、このpersonality偏()重()を中()身()の伴()わない見()せかけだと批()判()して、characterへの回()帰()を説()きました。つまり、スマイルズ(人()格())→カーネギー(印()象())→コヴィー(人()格()へ戻()れ)。自()己()啓()発()の歴()史()は、人()格()と印()象()のあいだを、振()り子()のように往()復()しているんです。この展()示()が見()せたいのは、その振()り子()の、片()側()の極()です。

6. 批()判()と擁()護() — 知()恵()か、偽()善()か

この2人()ほど、賛否()がくっきり割()れる人()たちもいません。両()方()を、5:5で並()べます。

批()判()の側()から。 チェスターフィールドの手紙()が出版()されたとき、当()代()一()の文()人()サミュエル・ジョンソンは、痛()烈()な一言()を放()ちました。この本()は「娼()婦()の道()徳()と、踊()りの教()師()の作()法()を教()える」。つまり、道()徳()は打()算()的()で、教()えているのは中()身()のない外面()だけだ、と。もっとも、ジョンソンにはチェスターフィールドとの個()人()的()な確()執()があり、この酷()評()には私()怨()も混()じっています。そこも含()めて有()名()な話()です。小()説()家()ディケンズは、チェスターフィールドをモデルに、冷()血()な悪()役()を描()きました。カーネギーにも、同()じ形()の批()判()が向()きます。作家()シンクレア・ルイスいわく、これは友()を得()る技()術()ではなく、「相()手()から物()を搾()り取()る」ための技()術()だ。共()通()する批()判()は、こうまとめられます。内()面()(誠()実()さ)を問()わずに、外面()(印()象())だけを最()適()化()する技()術()は、偽()善()と操()作()の教()科()書()になる。

擁()護()の側()から。 一方()で、ヴォルテールはチェスターフィールドの手紙()を「これまで書()かれた最()良()の教()育()書()かもしれない」と評()しました。カーネギーは、先()に見()たとおり、お世()辞()と誠()実()な評()価()をはっきり分()けています。そして何()より、実績()がある。対()人()関()係()に悩()む無()数()の人()が、この技()術()で実際()に救()われてきた。礼()儀()、傾()聴()、承()認()。それは操()作()の道()具()である前()に、人()と人()が傷()つけ合()わずに生()きるための、社()会()の潤()滑()油()でもあります。

7. いまの自()分()に、どう効()くか

まず功()から。カーネギーの原()則()(批()判()しない、聞()く、名()前()を覚()える、誠()実()に承()認()する)は、いまも対()人()関()係()の実()用()知()として一()級()品()です。人間()関()係()に悩()んだときの最()初()の一冊()として、90年()たった今()も現()役()。使()えばいい、と私()たちも思()います。

でも、現()代()への接()続()を見()ると、この展()示()の意()味()が変()わってきます。考()えてみてください。プロフィール写()真()を選()び、投()稿()の文()面()を練()り、「いいね」の数()を気()にする。SNSは、personality文()化()の究()極()形()です。私()たちは全()員()、チェスターフィールドとカーネギーが開()いた「印()象()管()理()ゲーム」の、プレイヤーになりました。社()会()学()者()ゴフマンが分()析()した 印()象()管()理() いんしょうかんり(impression management) 他()人()に与()える印()象()を、意()図()的()に整()えること。社()会()学()者()ゴフマンの概()念()。SNSの自()己()演()出()の理()論()的()な先祖()。 の理()論()は、そのままインスタグラムの説()明()として読()めます。

そして、社()会()学()者()ミルズが1950年代()に発()した警()告()が、いま重()く響()きます。 パーソナリティ市()場() ぱーそなりてぃしじょう 愛()想()・笑顔()・親()切()さが「商()品()」として売()り買()いされる状()況()(社()会()学()者()ミルズ)。演()じ続()けると、本()心()が分()からなくなる(自()己()疎()外())。 。笑顔()や愛()想()が「商()品()」として売()り買()いされるようになると、人()はやがて、自()分()の親()切()が本()心()なのか、営()業()なのか、自()分()でも分()からなくなる。印()象()を演()じ続()けることには、見()えないコスト(自()己()疎()外())がある、と。

同()じ「自()己()啓()発()の源()流()」のアドラーと並()べると、構()図()が鮮()明()になります。アドラーは「承()認()欲求()から自()由()になれ」と言()った。これは「どう生()きるか」という根()の話()。カーネギーは「承()認()を誠()実()に与()え合()え」と言()った。これは「どう関()わるか」という枝()葉()の話()。正()反()対()に見()えて、実()は層()が違()うことを言()っているんです。

だから、この展()示()の結()論()は、シンプルです。この技()術()は、本()当()に役()立()つ。使()えばいい。でも、「どう見()られるか」をどれだけ極()めても、「どう生()きるか」には、一歩()も近()づかない。 印()象()管()理()ゲームで勝()ち続()けた先()に、「本()心()が分()からなくなった自()分()」が待()っているとしたら、それは枝()葉()が茂()って、根()が枯()れた状()態()です。この2人()は、乗()り越()えるべき敵()ではありません。自()分()がいまどのゲームをしているかを知()るための、展()示()です。枝()葉()は枝()葉()として、ありがたく使()う。そして根()っこは、メインの思()想()家()たちと一緒()に、別()に問()う。

8. もっと知()る

この展()示()の資()料()は、実()用()書()として素()直()に読()めます。

読()む順()の目()安()

  1. まず、カーネギー『人()を動()かす』(創()元()社())。原()則()がシンプルで、今日()から使()えます。ひとつだけ、読()むコツを。本()文()に何()度()も出()てくる「誠()実()に」という言葉()を、読()み飛()ばさないこと。そこを飛()ばすと、この本()はただの操()作()マニュアルに堕()ちます。
  2. 18世紀()の空()気()を感()じたければ、チェスターフィールド『わが息子()への手紙()』の抄()訳()(『わが息子()よ、君()はどう生()きるか』ほか)。
  3. そして、この展()示()の「その後()」として、コヴィー『7つの習()慣()』。personality偏()重()への批()判()と、人()格()(character)への揺()り戻()し。振()り子()が戻()る瞬()間()を読()めます。

9. まだ決着()していないこと(両()論()ボックス)

  • 処()世()術()は、実()用()的()な知()恵()か、打()算()的()な偽()善()か:対()人()不()安()の処()方()箋()であり、社()会()の潤()滑()油()だ/内()面()を問()わない、操()作()の技()術()だ。
  • personality重()視()は、必()然()の適()応()か、内()面()の空()洞()化()か:見()知()らぬ他()人()だらけの都()市()社()会()への合()理()的()な適()応()だった/自()己()疎()外()(本()心()の喪()失())への入口()だった。
  • カーネギーは、人()を救()ったか、道()具()化()したか:無()数()の人()の人間()関()係()を、実際()に良()くした/人間()関()係()そのものを、成()功()のための手()段()に変()えてしまった。
  • 「characterからpersonalityへ」というサスマンの見()立()て:20世紀()の文()化()を鮮()やかに説()明()する枠組()みだ/実証()の不()十分()な仮()説()だ(歴()史()家()からの異()論()あり)。この展()示()でも、断()定()していません。
  • 2人()の関()係():同()じ主()題()を極()めた、別々()の時()代()の典()型()(類()型()の連()続())。「カーネギーがチェスターフィールドを受()け継()いだ」という直()接()の系()譜()の確()証()は、ありません。

このサイトは、確()定()した史()実()と、解()釈()が割()れる論()点()を分()けて記()述()しています。崇()拝()も断()罪()もせず、出典()に当()たれる形()を心()がけました。この二人()については特()に、「処()世()術()」を見()下()すことも礼()賛()することもせず、本()当()に役()立()つ技()術()と、その技()術()が答()えてくれない問()いとを、分()けて置()くよう努()めています。

もっと知()る — ブックガイド

入()門()(まずここから)

  • 7つの習()慣()(S・コヴィー) personality偏()重()を中()身()の伴()わない見()せかけだと批()判()し、characterへの回()帰()を説()いた本()。この展()示()の「その後()」として。

原()典()(挑()むなら)

  • 人()を動()かす(D・カーネギー/山口()博() 訳()・創()元()社()) 20世紀()対()人()術()の完()成()形()。原()則()がシンプルで今日()から使()える。実()用()書()として最()良()の入口()。
  • わが息子()よ、君()はどう生()きるか(チェスターフィールド/竹()内()均() 訳()・三笠()書()房()ほか) 『わが息子()への手紙()』の抄()訳()。18世紀()の処()世()訓()を手軽()に。