1. この展( てん ) 示( じ ) について
このページは、少( すこ ) し変( か ) わった部屋( へや ) です。 「特( とく ) 別( べつ ) 展( てん ) 示( じ ) 」 。メインの思( し ) 想( そう ) 家( か ) たちとは、別室( べっしつ ) になっています。
理( り ) 由( ゆう ) は、ここに展( てん ) 示( じ ) する2人( ふたり ) が、哲( てつ ) 学( がく ) 者( しゃ ) ではないから。18世紀( せいき ) イギリスの貴( き ) 族( ぞく ) チェスターフィールド卿( きょう ) と、20世紀( せいき ) アメリカの デール・カーネギー 。この2人( ふたり ) は、「どう生( い ) きるか」という根( ね ) っこの問( と ) いを立( た ) てた人( ひと ) ではありません。そのかわり、別( べつ ) のことを極( きわ ) めました。 「人( ひと ) にどう見( み ) られ、どう好( す ) かれ、どう動( うご ) いてもらうか」。対( たい ) 人( じん ) の技( ぎ ) 術( じゅつ ) です。
このサイトの言葉( ことば ) で言( い ) えば、彼( かれ ) らは「枝( えだ ) 葉( は ) 」の人( ひと ) です。ただし、ただの枝( えだ ) 葉( は ) ではない。 歴( れき ) 史( し ) 上( じょう ) 、最( もっと ) も洗( せん ) 練( れん ) された枝( えだ ) 葉( は ) 。だから、見( み ) 下( くだ ) しません(この技( ぎ ) 術( じゅつ ) は、本( ほん ) 当( とう ) に役( やく ) 立( だ ) ちます)。でも、礼( らい ) 賛( さん ) もしません(この技( ぎ ) 術( じゅつ ) は、根( ね ) の問( と ) いには答( こた ) えません)。その距( きょ ) 離( り ) で、二( ふた ) つの時( じ ) 代( だい ) の達( たつ ) 人( じん ) を、展( てん ) 示( じ ) します。
2. いそがしい人( ひと ) へ
3つだけ、先( さき ) に。
核( かく ) 心( しん ) :時( じ ) 代( だい ) も国( くに ) も身( み ) 分( ぶん ) も違( ちが ) う2人( ふたり ) が、同( おな ) じことを極( きわ ) めた。「内( ない ) 面( めん ) がどうであるかより、 人( ひと ) にどう見( み ) られるかが、世( よ ) 渡( わた ) りを決( き ) める」。その技( ぎ ) 術( じゅつ ) の、18世紀( せいき ) の先( せん ) 駆( く ) と、20世紀( せいき ) の完( かん ) 成( せい ) 形( けい ) 。
なぜ重( じゅう ) 要( よう ) :SNSでプロフィールを磨( みが ) き、「いいね」を数( かぞ ) える現( げん ) 代( だい ) の私( わたし ) たちは、全( ぜん ) 員( いん ) この2人( ふたり ) が開( ひら ) いたゲームのプレイヤー。 印( いん ) 象( しょう ) 管( かん ) 理( り ) の源( げん ) 流( りゅう ) が、ここにある。
よくある誤( ご ) 解( かい ) :カーネギーの『人( ひと ) を動( うご ) かす』は「お世( せ ) 辞( じ ) で人( ひと ) を操( あやつ ) る本( ほん ) 」ではない(本( ほん ) 人( にん ) が、お世( せ ) 辞( じ ) をはっきり否( ひ ) 定( てい ) しています)。逆( ぎゃく ) にチェスターフィールドは、当( とう ) 時( じ ) から「不( ふ ) 道( どう ) 徳( とく ) だ」と大( だい ) 炎( えん ) 上( じょう ) した(どちらも、本( ほん ) 文( ぶん ) で)。
3. 展( てん ) 示( じ ) その一( いち ) — チェスターフィールド卿( きょう ) :「好( す ) かれる技( ぎ ) 術( じゅつ ) 」の18世紀( せいき )
1694年生( ねんせい ) まれ。イギリスの政( せい ) 治( じ ) 家( か ) ・外( がい ) 交( こう ) 官( かん ) で、当( とう ) 代( だい ) 一流( いちりゅう ) の社( しゃ ) 交( こう ) 人( ひと ) でした。
彼( かれ ) を歴( れき ) 史( し ) に残( のこ ) したのは、政( せい ) 治( じ ) の業( ぎょう ) 績( せき ) ではなく、私( し ) 信( しん ) です。『わが息子( むすこ ) への手紙( てがみ ) 』、息子( むすこ ) のフィリップに宛( あて ) てて、約( やく ) 30年間( ねんかん ) 、 400通( つう ) あまり の手紙( てがみ ) を書( か ) き続( つづ ) けた。中( なか ) 身( み ) は、「社( しゃ ) 交( こう ) 界( かい ) で、どう振( ふ ) る舞( ま ) い、どう好( す ) かれ、どう出世( しゅっせ ) するか」。マナー、会( かい ) 話( わ ) 術( じゅつ ) 、服( ふく ) 装( そう ) 、聞( き ) き方( かた ) 。上( じょう ) 流( りゅう ) 社( しゃ ) 会( かい ) を生( い ) き抜( ぬ ) くための、実( じつ ) 技( ぎ ) のすべてです。
彼( かれ ) の教( おし ) えの核( かく ) 心( しん ) は、この一句( いっく ) に出( で ) ています。「人( ひと ) を喜( よろこ ) ばせたいという欲求( よっきゅう ) は、それを成( な ) し遂( と ) げる技( ぎ ) 術( じゅつ ) の、少( すく ) なくとも半( はん ) 分( ぶん ) である」。つまり、好( す ) かれることは、才( さい ) 能( のう ) ではなく、 学( まな ) べる技( ぎ ) 術( じゅつ ) だ。相( あい ) 手( て ) をよく観( かん ) 察( さつ ) し、相( あい ) 手( て ) に合( あ ) わせ、心地( ここち ) よくさせる。18世紀( せいき ) の貴( き ) 族( ぞく ) 社( しゃ ) 会( かい ) は、「見( み ) られ方( かた ) 」が出世( しゅっせ ) と没( ぼつ ) 落( らく ) を分( わ ) ける世( せ ) 界( かい ) でしたから、これは切( せつ ) 実( じつ ) な、実戦( じっせん ) の知( ち ) 恵( え ) でした。
出版( しゅっぱん ) の経( けい ) 緯( い ) に、皮( ひ ) 肉( にく ) な後( ご ) 日( じつ ) 談( だん ) があります。この手紙( てがみ ) は、あくまで父( ちち ) から息子( むすこ ) への一( いち ) 対( たい ) 一( いち ) の私( し ) 信( しん ) で、本( ほん ) 人( にん ) は出版( しゅっぱん ) するつもりがありませんでした。ところが息子( むすこ ) は父( ちち ) より先( さき ) に世( よ ) を去( さ ) り、残( のこ ) された息子( むすこ ) の妻( つま ) が、経済( けいざい ) 的( てき ) な事( じ ) 情( じょう ) から手紙( てがみ ) の束( たば ) を出版( しゅっぱん ) 社( しゃ ) に売( ばい ) 却( きゃく ) します(1500ギニー、当( とう ) 時( じ ) としては大( たい ) 金( きん ) です)。1774年( ねん ) 、チェスターフィールドの死( し ) の翌( よく ) 年( ねん ) に出版( しゅっぱん ) されるや、大( だい ) ベストセラーに。密室( みっしつ ) の処( しょ ) 世( せい ) 訓( くん ) が、皮( ひ ) 肉( にく ) にも、英( えい ) 国( こく ) 紳( しん ) 士( し ) のマナー教( きょう ) 本( ほん ) の古( こ ) 典( てん ) になったのです。
4. 展( てん ) 示( じ ) その二( に ) — デール・カーネギー:「人( ひと ) を動( うご ) かす」の20世紀( せいき )
時( じ ) 代( だい ) は飛( と ) んで、1888年( ねん ) 、アメリカ・ミズーリの貧( まず ) しい農( のう ) 家( か ) に生( う ) まれたのが、デール・カーネギーです。貴( き ) 族( ぞく ) とは正( せい ) 反( はん ) 対( たい ) の出( しゅつ ) 自( じ ) 。セールスマンなどを転々( てんてん ) とした後( あと ) 、YMCAの話( はな ) し方( かた ) 教( きょう ) 室( しつ ) の講( こう ) 師( し ) として身( み ) を立( た ) てました。
そして1936年( ねん ) 、大( だい ) 恐( きょう ) 慌( こう ) のただ中( なか ) で、彼( かれ ) は一冊( いっさつ ) の本( ほん ) を出( だ ) します。『 人( ひと ) を動( うご ) かす』。学( がく ) 歴( れき ) でも、資( し ) 本( ほん ) でも、技( ぎ ) 術( じゅつ ) でもなく、「 人間( にんげん ) 関( かん ) 係( けい ) こそが、成( せい ) 功( こう ) を決( き ) める」と説( と ) いたこの本( ほん ) は、全( ぜん ) 世( せ ) 界( かい ) で 3000万( まん ) 部( ぶ ) を超( こ ) えました。米( べい ) 議( ぎ ) 会( かい ) 図( と ) 書( しょ ) 館( かん ) の「アメリカを形( かたち ) 作( づく ) った本( ほん ) 」(2012年( ねん ) )にも選( えら ) ばれています。
教( おし ) えは、驚( おどろ ) くほどシンプルです。批( ひ ) 判( はん ) も非( ひ ) 難( なん ) もしない。率直( そっちょく ) で、誠( せい ) 実( じつ ) な評( ひょう ) 価( か ) を与( あた ) える。議( ぎ ) 論( ろん ) を避( さ ) ける。笑顔( えがお ) 。名( な ) 前( まえ ) を覚( おぼ ) える(名( な ) 前( まえ ) は、当( とう ) 人( にん ) にとって最( もっと ) も心地( ここち ) よい音( おと ) だから)。聞( き ) き手( て ) にまわる。そして、すべての中( ちゅう ) 心( しん ) にあるのが、「相( あい ) 手( て ) に 重( じゅう ) 要( よう ) 感( かん ) 重( じゅう ) 要( よう ) 感( かん ) じゅうようかん(feeling of importance) 「自( じ ) 分( ぶん ) は大( たい ) 切( せつ ) な存( そん ) 在( ざい ) だ」と感( かん ) じたい欲求( よっきゅう ) 。カーネギー対( たい ) 人( じん ) 術( じゅつ ) の核( かく ) =相( あい ) 手( て ) にこれを、誠( せい ) 実( じつ ) に与( あた ) えること。 を持( も ) たせる。それも、誠( せい ) 実( じつ ) に 」。人( ひと ) は誰( だれ ) でも、「自( じ ) 分( ぶん ) は大( たい ) 切( せつ ) な存( そん ) 在( ざい ) だ」と感( かん ) じたい。その欲求( よっきゅう ) を、心( こころ ) から満( み ) たしてあげること。
ここで、大( だい ) 事( じ ) な誤( ご ) 解( かい ) をひとつ解( と ) いておきます。「なんだ、お世( せ ) 辞( じ ) の本( ほん ) か」。違( ちが ) います。 カーネギー自( じ ) 身( しん ) が、お世( せ ) 辞( じ ) (flattery)と誠( せい ) 実( じつ ) な評( ひょう ) 価( か ) (sincere appreciation)を、明( めい ) 確( かく ) に区( く ) 別( べつ ) しています 。口( くち ) 先( さき ) の追( つい ) 従( しょう ) は相( あい ) 手( て ) に見( み ) 抜( ぬ ) かれる、本( ほん ) 物( もの ) の関( かん ) 心( しん ) を持( も ) て、と原( げん ) 文( ぶん ) は繰( く ) り返( かえ ) す。彼( かれ ) に言( い ) わせれば、これは「小( こ ) 手( て ) 先( さき ) のトリック集( しゅう ) ではなく、 新( あたら ) しい生( い ) き方( かた ) 」でした。受( じゅ ) 講( こう ) 者( しゃ ) には、若( わか ) き日( ひ ) のウォーレン・バフェットもいます。彼( かれ ) は大( だい ) 学( がく ) の学( がく ) 位( い ) より、このコースの修( しゅう ) 了( りょう ) 証( しょう ) 書( しょ ) を誇( ほこ ) りにして、オフィスに飾( かざ ) っているそうです。
ひとつ、書( か ) き添( そ ) えておくべきことがあります。カーネギーが学( まな ) んだ相( あい ) 手( て ) は、フロイト、ジェイムズ、そして アドラー といった同( どう ) 時( じ ) 代( だい ) の心( しん ) 理( り ) 学( がく ) でした。 チェスターフィールドを読( よ ) んで受( う ) け継( つ ) いだ、という直( ちょく ) 接( せつ ) のつながりは、確( かく ) 認( にん ) されていません。 2人( ふたり ) は師( し ) 弟( てい ) ではなく、同( おな ) じ主( しゅ ) 題( だい ) を、別々( べつべつ ) の時( じ ) 代( だい ) に極( きわ ) めた、いわば「同( おな ) じ星( せい ) 座( ざ ) の、離( はな ) れた星( ほし ) 」です。
5. 二人( ふたり ) をつなぐもの
「人( じん ) 格( かく ) 」から「印( いん ) 象( しょう ) 」へ——静( しず ) かに起( お ) きた、大( おお ) きな移( い ) 行( こう )
時( じ ) 代( だい ) も、国( くに ) も、身( み ) 分( ぶん ) も違( ちが ) う2人( ふたり ) 。直( ちょく ) 接( せつ ) のつながりは、実( じつ ) は確( かく ) 認( にん ) されていません。それでも並( なら ) べて展( てん ) 示( じ ) するのは、2人( ふたり ) が同( おな ) じ一( ひと ) つの移( い ) 行( こう ) を、くっきり見( み ) せてくれるからです。
この人( ひと ) が押( お ) した、前( ぜん ) 提( てい ) のスイッチ
登( とう ) 場( じょう ) 前( まえ ) の常( じょう ) 識( しき ) 人( じん ) 格( かく ) を磨( みが ) けば、 おのずと人( ひと ) に認( みと ) められ る。
↻ 登( とう ) 場( じょう ) 前( まえ ) の常( じょう ) 識( しき ) に戻( もど ) す スイッチを切( き ) る → 書( か ) き換( か ) える チェスターフィールド & カーネギー以( い ) 後( ご ) 好( す ) かれる技( ぎ ) 術( じゅつ ) を学( まな ) べば、 世( よ ) 渡( わた ) りはうまくいく。
ひとつ注( ちゅう ) 意( い ) を。このトグル、これまでの章( しょう ) とは意( い ) 味( み ) が違( ちが ) います。めくれば良( よ ) くなる「乗( の ) り越( こ ) え」ではなく、 実際( じっさい ) に社( しゃ ) 会( かい ) で起( お ) きた移( い ) 行( こう ) の、記( き ) 録( ろく ) です。良( よ ) くなったかどうかは、この展( てん ) 示( じ ) の最( さい ) 後( ご ) まで、保( ほ ) 留( りゅう ) してください。
スマイルズ の章( しょう ) を思( おも ) い出( だ ) してほしいんです。彼( かれ ) が上( うえ ) に置( お ) いたのは character character きゃらくたー(人( じん ) 格( かく ) ・品( ひん ) 性( せい ) ) 誠( せい ) 実( じつ ) ・義( ぎ ) 務( む ) ・名( めい ) 誉( よ ) など、内( ない ) 面( めん ) の徳( とく ) 。19世紀( せいき ) までの自( じ ) 己( こ ) 啓( けい ) 発( はつ ) (スマイルズら)の中( ちゅう ) 心( しん ) にあった言葉( ことば ) 。 。誠( せい ) 実( じつ ) 、義( ぎ ) 務( む ) 、名( めい ) 誉( よ ) といった、 内( ない ) 面( めん ) の人( じん ) 格( かく ) でした。「立派( りっぱ ) な人間( にんげん ) であれば、結果( けっか ) はついてくる」。19世紀( せいき ) の自( じ ) 己( こ ) 啓( けい ) 発( はつ ) は、この言葉( ことば ) づかいで書( か ) かれていた。
ところが20世紀( せいき ) に入( はい ) ると、成( せい ) 功( こう ) の語( ご ) 彙( い ) が入( い ) れ替( か ) わっていきます。魅( み ) 力( りょく ) 的( てき ) 、印( いん ) 象( しょう ) 的( てき ) 、人( ひと ) を惹( ひ ) きつける。 personality personality ぱーそなりてぃ(印( いん ) 象( しょう ) ・魅( み ) 力( りょく ) ) 魅( み ) 力( りょく ) 的( てき ) ・印( いん ) 象( しょう ) 的( てき ) ・人( ひと ) を惹( ひ ) きつける——他( た ) 人( にん ) からどう見( み ) えるか。20世紀( せいき ) に自( じ ) 己( こ ) 啓( けい ) 発( はつ ) の中( ちゅう ) 心( しん ) へ移( うつ ) った言葉( ことば ) 。 。立派( りっぱ ) な人間( にんげん ) であるかどうかより、魅( み ) 力( りょく ) 的( てき ) に”見( み ) える”かどうか。 文( ぶん ) 化( か ) 史( し ) 家( か ) サスマンは、この移( い ) 行( こう ) を「characterの文( ぶん ) 化( か ) から、personalityの文( ぶん ) 化( か ) へ」と名( な ) づけました(有( ゆう ) 名( めい ) な見( み ) 立( た ) てですが、実証( じっしょう ) が十分( じゅうぶん ) かには異( い ) 論( ろん ) もある、仮( か ) 説( せつ ) です)。都( と ) 市( し ) 化( か ) で、人々( ひとびと ) は毎( まい ) 日( にち ) 、自( じ ) 分( ぶん ) を知( し ) らない他( た ) 人( にん ) の前( まえ ) に立( た ) つようになった。じっくり人( じん ) 格( かく ) を知( し ) ってもらう時( じ ) 間( かん ) はない。 第( だい ) 一( いち ) 印象( いんしょう ) が、すべてを決( き ) める世( せ ) 界( かい ) が来( き ) たんです。
チェスターフィールドは、この移( い ) 行( こう ) の18世紀( せいき ) の先( せん ) 駆( く ) でした。貴( き ) 族( ぞく ) の社( しゃ ) 交( こう ) 界( かい ) という、「見( み ) られ方( かた ) がすべて」の世( せ ) 界( かい ) で、好( す ) かれる技( ぎ ) 術( じゅつ ) を私( し ) 信( しん ) で説( と ) き続( つづ ) けた。そしてカーネギーは、20世紀( せいき ) の完( かん ) 成( せい ) 形( けい ) 。大( だい ) 恐( きょう ) 慌( こう ) のアメリカで、「知( ち ) 識( しき ) や実( じつ ) 力( りょく ) より、 人( ひと ) にどう好( す ) かれるかが収( しゅう ) 入( にゅう ) を決( き ) める」と説( と ) いて、世( せ ) 界( かい ) 一( いち ) の実( じつ ) 用( よう ) 書( しょ ) を書( か ) いた。
面( おも ) 白( しろ ) いのは、その後( ご ) 日( じつ ) 談( だん ) です。カーネギーから半( はん ) 世( せい ) 紀( き ) 後( ご ) 、コヴィーの『7つの習( しゅう ) 慣( かん ) 』は、このpersonality偏( へん ) 重( ちょう ) を中( なか ) 身( み ) の伴( ともな ) わない見( み ) せかけだと批( ひ ) 判( はん ) して、characterへの回( かい ) 帰( き ) を説( と ) きました。つまり、スマイルズ(人( じん ) 格( かく ) )→カーネギー(印( いん ) 象( しょう ) )→コヴィー(人( じん ) 格( かく ) へ戻( もど ) れ)。自( じ ) 己( こ ) 啓( けい ) 発( はつ ) の歴( れき ) 史( し ) は、 人( じん ) 格( かく ) と印( いん ) 象( しょう ) のあいだを、振( ふ ) り子( こ ) のように往( おう ) 復( ふく ) しているんです。この展( てん ) 示( じ ) が見( み ) せたいのは、その振( ふ ) り子( こ ) の、片( かた ) 側( がわ ) の極( きわ ) です。
6. 批( ひ ) 判( はん ) と擁( よう ) 護( ご ) — 知( ち ) 恵( え ) か、偽( ぎ ) 善( ぜん ) か
この2人( ふたり ) ほど、賛否( さんぴ ) がくっきり割( わ ) れる人( ひと ) たちもいません。両( りょう ) 方( ほう ) を、5:5で並( なら ) べます。
批( ひ ) 判( はん ) の側( がわ ) から。 チェスターフィールドの手紙( てがみ ) が出版( しゅっぱん ) されたとき、当( とう ) 代( だい ) 一( いち ) の文( ぶん ) 人( じん ) サミュエル・ジョンソンは、痛( つう ) 烈( れつ ) な一言( ひとこと ) を放( はな ) ちました。この本( ほん ) は「 娼( しょう ) 婦( ふ ) の道( どう ) 徳( とく ) と、踊( おど ) りの教( きょう ) 師( し ) の作( さ ) 法( ほう ) を教( おし ) える」。つまり、道( どう ) 徳( とく ) は打( だ ) 算( さん ) 的( てき ) で、教( おし ) えているのは中( なか ) 身( み ) のない外面( そとづら ) だけだ、と。もっとも、ジョンソンにはチェスターフィールドとの個( こ ) 人( じん ) 的( てき ) な確( かく ) 執( しつ ) があり、この酷( こく ) 評( ひょう ) には私( し ) 怨( えん ) も混( ま ) じっています。そこも含( ふく ) めて有( ゆう ) 名( めい ) な話( はなし ) です。小( しょう ) 説( せつ ) 家( か ) ディケンズは、チェスターフィールドをモデルに、冷( れい ) 血( けつ ) な悪( あく ) 役( やく ) を描( えが ) きました。カーネギーにも、同( おな ) じ形( かたち ) の批( ひ ) 判( はん ) が向( む ) きます。作家( さっか ) シンクレア・ルイスいわく、これは友( とも ) を得( え ) る技( ぎ ) 術( じゅつ ) ではなく、「 相( あい ) 手( て ) から物( もの ) を搾( しぼ ) り取( と ) る」ための技( ぎ ) 術( じゅつ ) だ。共( きょう ) 通( つう ) する批( ひ ) 判( はん ) は、こうまとめられます。 内( ない ) 面( めん ) (誠( せい ) 実( じつ ) さ)を問( と ) わずに、外面( そとづら ) (印( いん ) 象( しょう ) )だけを最( さい ) 適( てき ) 化( か ) する技( ぎ ) 術( じゅつ ) は、偽( ぎ ) 善( ぜん ) と操( そう ) 作( さ ) の教( きょう ) 科( か ) 書( しょ ) になる 。
擁( よう ) 護( ご ) の側( がわ ) から。 一方( いっぽう ) で、ヴォルテールはチェスターフィールドの手紙( てがみ ) を「これまで書( か ) かれた 最( さい ) 良( りょう ) の教( きょう ) 育( いく ) 書( しょ ) かもしれない」と評( ひょう ) しました。カーネギーは、先( さき ) に見( み ) たとおり、お世( せ ) 辞( じ ) と誠( せい ) 実( じつ ) な評( ひょう ) 価( か ) をはっきり分( わ ) けています。そして何( なに ) より、実績( じっせき ) がある。対( たい ) 人( じん ) 関( かん ) 係( けい ) に悩( なや ) む無( む ) 数( すう ) の人( ひと ) が、この技( ぎ ) 術( じゅつ ) で実際( じっさい ) に救( すく ) われてきた。礼( れい ) 儀( ぎ ) 、傾( けい ) 聴( ちょう ) 、承( しょう ) 認( にん ) 。それは操( そう ) 作( さ ) の道( どう ) 具( ぐ ) である前( まえ ) に、 人( ひと ) と人( ひと ) が傷( きず ) つけ合( あ ) わずに生( い ) きるための、社( しゃ ) 会( かい ) の潤( じゅん ) 滑( かつ ) 油( ゆ ) でもあります。
7. いまの自( じ ) 分( ぶん ) に、どう効( き ) くか
まず功( こう ) から。カーネギーの原( げん ) 則( そく ) (批( ひ ) 判( はん ) しない、聞( き ) く、名( な ) 前( まえ ) を覚( おぼ ) える、誠( せい ) 実( じつ ) に承( しょう ) 認( にん ) する)は、いまも対( たい ) 人( じん ) 関( かん ) 係( けい ) の実( じつ ) 用( よう ) 知( ち ) として一( いち ) 級( きゅう ) 品( ひん ) です。人間( にんげん ) 関( かん ) 係( けい ) に悩( なや ) んだときの最( さい ) 初( しょ ) の一冊( いっさつ ) として、90年( ねん ) たった今( いま ) も現( げん ) 役( えき ) 。使( つか ) えばいい、と私( わたし ) たちも思( おも ) います。
でも、現( げん ) 代( だい ) への接( せつ ) 続( ぞく ) を見( み ) ると、この展( てん ) 示( じ ) の意( い ) 味( み ) が変( か ) わってきます。考( かんが ) えてみてください。プロフィール写( しゃ ) 真( しん ) を選( えら ) び、投( とう ) 稿( こう ) の文( ぶん ) 面( めん ) を練( ね ) り、「いいね」の数( すう ) を気( き ) にする。 SNSは、personality文( ぶん ) 化( か ) の究( きゅう ) 極( きょく ) 形( けい ) です。私( わたし ) たちは全( ぜん ) 員( いん ) 、チェスターフィールドとカーネギーが開( ひら ) いた「印( いん ) 象( しょう ) 管( かん ) 理( り ) ゲーム」の、プレイヤーになりました。社( しゃ ) 会( かい ) 学( がく ) 者( しゃ ) ゴフマンが分( ぶん ) 析( せき ) した 印( いん ) 象( しょう ) 管( かん ) 理( り ) 印( いん ) 象( しょう ) 管( かん ) 理( り ) いんしょうかんり(impression management) 他( た ) 人( にん ) に与( あた ) える印( いん ) 象( しょう ) を、意( い ) 図( と ) 的( てき ) に整( ととの ) えること。社( しゃ ) 会( かい ) 学( がく ) 者( しゃ ) ゴフマンの概( がい ) 念( ねん ) 。SNSの自( じ ) 己( こ ) 演( えん ) 出( しゅつ ) の理( り ) 論( ろん ) 的( てき ) な先祖( せんぞ ) 。 の理( り ) 論( ろん ) は、そのままインスタグラムの説( せつ ) 明( めい ) として読( よ ) めます。
そして、社( しゃ ) 会( かい ) 学( がく ) 者( しゃ ) ミルズが1950年代( ねんだい ) に発( はつ ) した警( けい ) 告( こく ) が、いま重( おも ) く響( ひび ) きます。 パーソナリティ市( し ) 場( じょう ) パーソナリティ市( し ) 場( じょう ) ぱーそなりてぃしじょう 愛( あい ) 想( そ ) ・笑顔( えがお ) ・親( しん ) 切( せつ ) さが「商( しょう ) 品( ひん ) 」として売( う ) り買( か ) いされる状( じょう ) 況( きょう ) (社( しゃ ) 会( かい ) 学( がく ) 者( しゃ ) ミルズ)。演( えん ) じ続( つづ ) けると、本( ほん ) 心( しん ) が分( わ ) からなくなる(自( じ ) 己( こ ) 疎( そ ) 外( がい ) )。 。笑顔( えがお ) や愛( あい ) 想( そ ) が「商( しょう ) 品( ひん ) 」として売( う ) り買( か ) いされるようになると、人( ひと ) はやがて、 自( じ ) 分( ぶん ) の親( しん ) 切( せつ ) が本( ほん ) 心( しん ) なのか、営( えい ) 業( ぎょう ) なのか、自( じ ) 分( ぶん ) でも分( わ ) からなくなる。印( いん ) 象( しょう ) を演( えん ) じ続( つづ ) けることには、見( み ) えないコスト(自( じ ) 己( こ ) 疎( そ ) 外( がい ) )がある、と。
同( おな ) じ「自( じ ) 己( こ ) 啓( けい ) 発( はつ ) の源( げん ) 流( りゅう ) 」のアドラー と並( なら ) べると、構( こう ) 図( ず ) が鮮( せん ) 明( めい ) になります。アドラーは「 承( しょう ) 認( にん ) 欲求( よっきゅう ) から自( じ ) 由( ゆう ) になれ」と言( い ) った。これは「どう生( い ) きるか」という根( ね ) の話( はなし ) 。カーネギーは「 承( しょう ) 認( にん ) を誠( せい ) 実( じつ ) に与( あた ) え合( あ ) え」と言( い ) った。これは「どう関( かか ) わるか」という枝( えだ ) 葉( は ) の話( はなし ) 。正( せい ) 反( はん ) 対( たい ) に見( み ) えて、実( じつ ) は 層( そう ) が違( ちが ) うことを言( い ) っているんです。
だから、この展( てん ) 示( じ ) の結( けつ ) 論( ろん ) は、シンプルです。 この技( ぎ ) 術( じゅつ ) は、本( ほん ) 当( とう ) に役( やく ) 立( だ ) つ。使( つか ) えばいい。でも、「どう見( み ) られるか」をどれだけ極( きわ ) めても、「どう生( い ) きるか」には、一歩( いっぽ ) も近( ちか ) づかない。 印( いん ) 象( しょう ) 管( かん ) 理( り ) ゲームで勝( か ) ち続( つづ ) けた先( さき ) に、「本( ほん ) 心( しん ) が分( わ ) からなくなった自( じ ) 分( ぶん ) 」が待( ま ) っているとしたら、それは枝( えだ ) 葉( は ) が茂( しげ ) って、根( ね ) が枯( か ) れた状( じょう ) 態( たい ) です。この2人( ふたり ) は、乗( の ) り越( こ ) えるべき敵( てき ) ではありません。 自( じ ) 分( ぶん ) がいまどのゲームをしているかを知( し ) るための、展( てん ) 示( じ ) です。枝( えだ ) 葉( は ) は枝( えだ ) 葉( は ) として、ありがたく使( つか ) う。そして根( ね ) っこは、メインの思( し ) 想( そう ) 家( か ) たちと一緒( いっしょ ) に、別( べつ ) に問( と ) う。
8. もっと知( し ) る
この展( てん ) 示( じ ) の資( し ) 料( りょう ) は、実( じつ ) 用( よう ) 書( しょ ) として素( す ) 直( なお ) に読( よ ) めます。
読( よ ) む順( じゅん ) の目( め ) 安( やす )
まず、カーネギー『人( ひと ) を動( うご ) かす』(創( そう ) 元( げん ) 社( しゃ ) )。原( げん ) 則( そく ) がシンプルで、今日( きょう ) から使( つか ) えます。ひとつだけ、読( よ ) むコツを。本( ほん ) 文( ぶん ) に何( なん ) 度( ど ) も出( で ) てくる「 誠( せい ) 実( じつ ) に」という言葉( ことば ) を、読( よ ) み飛( と ) ばさないこと。そこを飛( と ) ばすと、この本( ほん ) はただの操( そう ) 作( さ ) マニュアルに堕( お ) ちます。
18世紀( せいき ) の空( くう ) 気( き ) を感( かん ) じたければ、チェスターフィールド『わが息子( むすこ ) への手紙( てがみ ) 』の抄( しょう ) 訳( やく ) (『わが息子( むすこ ) よ、君( きみ ) はどう生( い ) きるか』ほか)。
そして、この展( てん ) 示( じ ) の「その後( ご ) 」として、コヴィー『7つの習( しゅう ) 慣( かん ) 』。personality偏( へん ) 重( ちょう ) への批( ひ ) 判( はん ) と、人( じん ) 格( かく ) (character)への揺( ゆ ) り戻( もど ) し。振( ふ ) り子( こ ) が戻( もど ) る瞬( しゅん ) 間( かん ) を読( よ ) めます。
9. まだ決着( けっちゃく ) していないこと(両( りょう ) 論( ろん ) ボックス)
処( しょ ) 世( せい ) 術( じゅつ ) は、実( じつ ) 用( よう ) 的( てき ) な知( ち ) 恵( え ) か、打( だ ) 算( さん ) 的( てき ) な偽( ぎ ) 善( ぜん ) か:対( たい ) 人( じん ) 不( ふ ) 安( あん ) の処( しょ ) 方( ほう ) 箋( せん ) であり、社( しゃ ) 会( かい ) の潤( じゅん ) 滑( かつ ) 油( ゆ ) だ/内( ない ) 面( めん ) を問( と ) わない、操( そう ) 作( さ ) の技( ぎ ) 術( じゅつ ) だ。
personality重( じゅう ) 視( し ) は、必( ひつ ) 然( ぜん ) の適( てき ) 応( おう ) か、内( ない ) 面( めん ) の空( くう ) 洞( どう ) 化( か ) か :見( み ) 知( し ) らぬ他( た ) 人( にん ) だらけの都( と ) 市( し ) 社( しゃ ) 会( かい ) への合( ごう ) 理( り ) 的( てき ) な適( てき ) 応( おう ) だった/自( じ ) 己( こ ) 疎( そ ) 外( がい ) (本( ほん ) 心( しん ) の喪( そう ) 失( しつ ) )への入口( いりぐち ) だった。
カーネギーは、人( ひと ) を救( すく ) ったか、道( どう ) 具( ぐ ) 化( か ) したか :無( む ) 数( すう ) の人( ひと ) の人間( にんげん ) 関( かん ) 係( けい ) を、実際( じっさい ) に良( よ ) くした/人間( にんげん ) 関( かん ) 係( けい ) そのものを、成( せい ) 功( こう ) のための手( しゅ ) 段( だん ) に変( か ) えてしまった。
「characterからpersonalityへ」というサスマンの見( み ) 立( た ) て :20世紀( せいき ) の文( ぶん ) 化( か ) を鮮( あざ ) やかに説( せつ ) 明( めい ) する枠組( わくぐ ) みだ/実証( じっしょう ) の不( ふ ) 十分( じゅうぶん ) な仮( か ) 説( せつ ) だ(歴( れき ) 史( し ) 家( か ) からの異( い ) 論( ろん ) あり)。この展( てん ) 示( じ ) でも、断( だん ) 定( てい ) していません。
2人( ふたり ) の関( かん ) 係( けい ) :同( おな ) じ主( しゅ ) 題( だい ) を極( きわ ) めた、別々( べつべつ ) の時( じ ) 代( だい ) の典( てん ) 型( けい ) (類( るい ) 型( けい ) の連( れん ) 続( ぞく ) )。「カーネギーがチェスターフィールドを受( う ) け継( つ ) いだ」という直( ちょく ) 接( せつ ) の系( けい ) 譜( ふ ) の確( かく ) 証( しょう ) は、ありません。
このサイトは、確( かく ) 定( てい ) した史( し ) 実( じつ ) と、解( かい ) 釈( しゃく ) が割( わ ) れる論( ろん ) 点( てん ) を分( わ ) けて記( き ) 述( じゅつ ) しています。崇( すう ) 拝( はい ) も断( だん ) 罪( ざい ) もせず、出典( しゅってん ) に当( あ ) たれる形( かたち ) を心( こころ ) がけました。この二人( ふたり ) については特( とく ) に、「処( しょ ) 世( せい ) 術( じゅつ ) 」を見( み ) 下( くだ ) すことも礼( らい ) 賛( さん ) することもせず、本( ほん ) 当( とう ) に役( やく ) 立( だ ) つ技( ぎ ) 術( じゅつ ) と、その技( ぎ ) 術( じゅつ ) が答( こた ) えてくれない問( と ) いとを、分( わ ) けて置( お ) くよう努( つと ) めています。